巨匠のムチャブリ-島津保次郎 オヤジの蛮行 <その1>

◆ 島津オヤジを語る前に-大正期間の映画界 <前篇>

 本日より、松竹初期に活躍した大監督・島津保次郎 についてつらつら語っていこうと思います。野村芳亭の時同様、大正~昭和の話ばかりですが、良ければおつきあい下さい。

                 ***********

 〝松竹の3悪人〟などと書きながら、(二つ前のコラムの)野村芳亭は結局、尊大ではあったが意外に人情味のある〝花も実もある〟大監督だったということになってしまった。傍若無人な監督や、その公私に渡る横暴な所業を断罪しようと思って筆を執ったジャズ野郎にすれば、これは心外なことである。

 次に紹介する監督こそは、その悪辣な所行を暴いてズタズタにしてやろうと思っているが、さて、その監督・島津保次郎とはどう人物であろうか。

 日本映画にそれほど詳しくない人は「島津保次郎って誰?」とか、ちょっと知ってる人でも「アンタ何言ってんの、 小津安二郎 の間違いでしょ」などと言うかもしれませんが、小津と島津、安二郎と保次郎、とダブッてる箇所が二つもあって、ややっこしい名前ですが、このご両人はどちらも実在した映画監督、それも松竹の監督です。
 小津安二郎の方は、黒澤明、溝口健二、大島渚、そしてここ数年のうちにグッと評価が上がった成瀬巳喜男とともに、日本の映画監督として海外で知名度が高い人だから、これは説明の要もないでしょう。この前に長々と書いた野村芳亭監督のところでも、再三、名前を出したし、カレー事件でボーイを殴ったり、終戦直後にシンガポールから日本に復員する時、自分は最後でいい、と船に乗る順番を他のスタッフに譲った、といった話を書いたので、その人となりは分かってもらえたかと思います。
 その作品の特徴はローポジ、スタティック、そして家庭劇。あえてあと一つ付け加えるなら〝ルビッチ・タッチの発展的応用〟ですが、これについては長い解説が必要なので、とりあえず判る人が判ればよろしい。

 で、島津保次郎は、この小津よりも松竹では先輩だった名匠です。ただし小津のように律儀で謹厳実直な大人(たいじん)ではない。粗暴も粗暴な、暴力オヤジでありました。
 
 ただし、この時代、この島津だけが暴力を振るったわけでなく、ほとんどの監督が部下、主に助監督などの〝弟子〟を顎でこき使い、不出来なことをやらかした時にはブンなぐったり、蹴ったり、と酷いことをしたのです。これが照明部なら、照明の親方がレフ持ちの下っ端などを殴ったり、大道具・小道具ならその棟梁がミスッた部下をトンカチで殴ったり蹴ったり・・・と、こういう蛮行が日常的にあった。
 ですから、オリンピックに出場するスポーツ界のトップや中・高校の部活などでは、監督やコーチが選手や部員を殴る蹴るといった 暴力行為が〝花盛り〟 ではありますが、この島津らが活躍した大正年間から戦後の黄金時代にかけての映画会社の撮影所におけるそれは〝花盛り〟なんてもんじゃなかった。暴力行為やイジメ、迫害、足の引っ張り合いなどは当たり前だったわけで、撮影所は夢の工場どころか〝悪夢の工場〟だったのです。撮影所が夢の工場なんていうのは幻想かタテマエみたいなもんで、実際はヤーさんまがいの粗暴な連中が跋扈する殺伐とした魔界であった。 〔続く〕


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巨匠のムチャブリ-島津保次郎 オヤジの蛮行 <その2>

◆ 島津オヤジを語る前に-大正期の映画界 <後篇>

 往事の撮影所には ゴロツキ のような荒っぽい輩がウロウロしていた・・・とは言え、教養や文才が不可欠なシナリオライターや、テクニカルな知識と熟練を要するキャメラマンほかの専門スタッフ、そしてそれらを統括する監督やプロデューサーの中には、学問と良識を備えたインテリ(知的階層)はいたわけだから、撮影所は無法地帯というわけではない。だがそうした常識人よりも、下働きのスタッフにはどこぞの組から流れてきたような荒くれ者や無頼な人間が多かったのだ。

 どうしてこういう人たちが映画会社や撮影所にいたのか。とどのつまり、経営者がそもそもそうした人であったのです。
 松竹は違いますが、松竹が映画製作を始めた大正9年の前後には、それこそ大小の映画会社が濫立しており、その中にあった 河合映画 の場合は、オーナーの 河合徳三郎にしてからがソッチ系の人で、身体全身にクリカラモンモンが彫ってあったという侠客上がりの土建屋であった(男性器にも彫り物があった、というからまさに〝筋・金〟入りである)。親方がヤーさんなんだもん、その配下は幹分(子分)ってことでさぁね。

 当時はサイレントだから映画はチャッチャとすぐに出来て、公開すればガバッと儲かった時代ゆえ、それを見越して空き工場なんかを改造して即席の撮影所に設えて、キャメラとフィルムを買いそろえて映画製作に乗り出す。札束で顔をひっぱたいて他社のスターを手っ取り早く引き抜き、監督はまだしも、下っ端のスタッフなどは涙金程度の安い給料でこき使われ、安手な映画を量産しては上がった儲けで左うちわ・・・。映画会社さえ始めれば儲かる、という、今では夢のような時代が日本でもあったのです。

 東京や大阪・京都のみならず、アッチでもコッチでも映画が作られ公開されていた、という時期があったのです。それは1980年代、全国的に跳梁跋扈したビデオレンタル店みたいなもんで、それが次第に淘汰されていくのですが、とりあえずメジャー会社では日活松竹、ちょっと落ちて 天活(天然色活動写真株式会社) 、この天活が吸収されて 国活(国際活映株式会社、コレが後に 帝国キネマ になり、さらに 新興キネマ になる) になり、他にマキノ省三主宰の マキノ映画大活(大正活映。文豪・谷崎潤一郎が製作陣にいた) 、 河合映画東亜キネマ、この河合と東亜が合体して 大都映画 になったり、とそれはもう複雑怪奇な流れとなっていくわけですが、詳しくはこの種の映画史の本を当たってみて下さい。

 映画は当たる、映画をやれば儲かる、という爆発的な気運が日本全国に巻き起こり、そうなるとこういう儲け話に目がない小金、いや大金を持った資本家(投資家、素封家、企業経営者、起業家、そして興行の裏表に明るい任侠道を歩む方々)が我先に映画に群がる。 特に〝興行の裏表に明るい〟方々などは、堅気の縄張<シマ>に強引に割って入る腕力と悪知恵を持っていますから、資本家と組んで開業資金をこさえて、たちまち映画製作を始めてしまう。
 すると、出演者たる俳優やスターが集結する撮影スタジオには、彼らを見んものと有象無象のファンが群がる。それらの中からスターや女優に悪さをしたり、撮影所に潜り込んで撮影を妨害するなど騒動を起こす輩も出てくる。そうしたトラブルの防止とセキュリティ対策(用心棒)として、ヤクザの組関係者、平たく言うとチンピラが撮影所に入り浸るようになる。
 そういう人達が、映画好きになってスタッフとして本採用になる場合もあるから、自然、映画の撮影現場(いうなれば工事現場と同じ)というものは荒っぽくなり、使う者(監督)も使われる者(スタッフ)も蛮カラな感じになっていく。

 前回の【野村芳亭】のところでも、当時の侠風あふれる撮影所のことに触れましたが、今回の 島津保次郎 は監督自身が暴力オヤジである。ゆえにこうした当時の気風を再確認していただきたい。でないと、島津オヤジだけが、野蛮な暴力クソ野郎ということになってしまうので・・・(ま、実際に暴力クソオヤジなんですけどネ)。   〔続く〕



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巨匠のムチャブリ-島津保次郎 オヤジの蛮行 <その3>

◆ 木樵のオヤジが映画の道へ

 この島津保次郎という人は、映画監督としては優秀で、名作をいくつも残しているのだが、とりわけ助監督にキツく当たり、殴る蹴るの横暴をはたらいたという点で有名な御仁である。気分次第で助監督を殴る、蹴るといった蛮行がひどかったといわれる。
 だから先の将軍さん(野村芳亭)のように人間的に好感のもてる部分はないと思うのだが……。まず彼の履歴を紹介しておこう。

 この人は 〝木樵だった映画監督〟 と言われ、それで有名だった人で 、映画界の名物男である。

 映画がまだ黎明のサイレントの頃に撮影所で働いていた人達というのは、もともと映画や芝居が好きなだけの暇人(要するに金持ちのボンボンか、粗暴なチンピラ)が多く、遊びで映画作りを手伝うちに使い走りの助監督になって監督になったり、通行人などの〝その他大勢〟を任されて大部屋俳優から脇役やある者はスターになったり、また撮影・録音の助手から一本立ちのスタッフになったり、というケースがままあった。

 例えば黒澤明監督のデビュー作 『姿三四郎』 (昭和18=1943年)で主人公を演じ一躍スターになった 藤田進 は、その初めは俳優ではなく当時人気の剣戟スター・嵐寛寿郎のプロダクションでマイクをセッティングする録音助手(棒の先につけたマイクで、台詞を喋る役者の声を録る、通称〝竿振り(竿持ち)〟)をしていたという具合に、映画界入りを希望する者は役職を問わずなんでもいいからとにかく撮影所に潜り込んだ。そうした有象無象が映画の現場にはいっぱいいた。
 そうやって潜り込んだ撮影所には、先にも書いたように映画会社の経営部門(部課長クラスから上)には大卒の社会人(堅気)はいたけれども、血の気の多い荒っぽい人達(素人ではあるが堅気とはいえないような)が多かった。だから撮影現場は、年季の浅い者は怒鳴られ、コキ使われ、時にはイジメにも遭い、時に危険物に変わるライトや大道具などが散乱しているわけだから、一種、殺伐とした土木工事の〝現場〟のような状態にもなる。心も体もタフじゃないとやりきれぬ。部署によっては、タフや精悍よりも、いっそ粗暴か野卑ぐらいでないと勤まらぬ場合もあった。

 では木樵だったという島津もそうしたやくざで野卑な肉体労働者だったのか、というとそうではない。そうではないが、木樵というか林業には関係しており、大木を切り倒したり、切り出した材木を運ぶといった重労働には就いていて、腕力はすさまじく強くタフな山出しの猛者だったことに間違いはない。 〔続く〕


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巨匠のムチャブリ-島津保次郎 オヤジの蛮行 <その4>

◆ オヤジと呼ぶしかない「おやじぃ」な外見

 それに加えて島津は外見(顔)が、もう、まったく、完全に「おやじ」「おっさん」という形容詞がピッタリな中年男のそれであった。実際、撮影所において愛憎半ばで呼ばれた仇名は 「オヤジ」 であり、この島津オヤジに助監督として足かけ11年も付き従ったのが、これまでも度々、その著書を引用してきた 吉村公三郎 である。吉村監督は昭和4年(1929)に蒲田撮影所に入所して、初めて島津と対面した時の模様を次のように書いている。

…ひげの濃いあから顔の額の禿げ上がった、猫背でガニ股、年齢は三十歳を過ぎたばかりのはずなのに年よりは老けて見える、小柄で見るからに精悍な男が、編み上げの半長靴をガタガタいわせ、ニッカボッカーにジャンパ姿で入ってきた。島津オヤジと呼ばれる島津保次郎監督である。
                 (『キネマの時代 監督修業物語』吉村公三郎、時事通信社)


 吉村公三郎が島津と初めて会ったこの時から11年後、つまり吉村が出世作 『暖流』 を出す昭和14年(1939)に島津は東宝に移籍するのだが、その東宝(砧撮影所)の文芸部に脚本部員として入社した 池部良 は島津と対面した時の印象をこう記している。

…見事に禿げている形のいい頭、太い眉毛と鼻下の、板海苔を二センチ四方に切って張りつけたような髭が映った。                       (『心残りは…』池部良、文藝春秋)

 禿げ頭といい、太い眉毛といい、四角い板海苔のような濃い髭といい、ガニ短(ガニ股で短足)といい、もう、明らかに若者が侮蔑して呼ぶ「おやじ」の典型的な外観を備えている。吉村監督が言うように、あだ名もまさに「オヤジ」「島津オヤジ」で、これは松竹でも東宝でもそう呼ばれた。
 しかも格好はニッカボッカーにジャンパー姿ときている。これは、野村芳亭のところでも書いたが、当時のハリウッド監督がしたお決まりのスタイルで、島津の場合はそれに編み上げ長靴がつくから、ちょいとお洒落な土木工事の現場監督といった感じだったろう。これで腕っ節が強くて、人を殴りつけるのだから、気の荒い土建屋のオヤジそのまんまである。
 島津の現場での演出ぶりを新藤兼人監督はこのように描写している。

 島津オヤジ(そう呼んで親しまれた)は…(略)…助監督をクソミソに叱りとばし、カメラマンのシリをおそいおそいとひっぱたき、俳優にはまずい役者はなんにもしないで立っておれと冗談をとばし、内心の緊張は片りんも見せず、楽々と島津演出を行った。(『小説・田中絹代』新藤兼人、読売新聞社)

〝助監督をクソミソに叱りとばした〟島津の人となりとは・・・次のアップを待て。  〔続く〕


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巨匠のムチャブリ-島津保次郎 オヤジの蛮行 <その5>

◆ 島津の質流れを牛原が請ける?! 

 助監督を叱り、時には殴りつけもした島津だが、彼は決してやさぐれた粗暴な男だったわけではない。なんと生まれは 金持ちのボンボン である。
 明治30年(1897)6月3日、神田駿河台の島津家の本宅で産声を上げた次男坊の保次郎は生粋の江戸っ子、家は日本橋に店を構える海産物問屋 「甲州屋」 を営む大商家(つまり金持ち)であった。父の 音次郎 はこの「甲州屋」以外に、三河島に下駄用材を扱う問屋まで持つというやり手の大商人で、島津はその三河島の店の手伝いをさせられていて、幼時から材木を切り出す山林にかり出されて荒っぽい労務についていた。それで「木樵から監督になった男」などと言われたのだが、音次郎は保次郎に三河島の店を継がせようと考えていた。
 ところが保次郎は当時、巷を席捲していたカツドウ(映画)に夢中になってしまう。銀座から浅草に出て、映画や芝居、寄席を見てまわって、酒やばくちに血道を上げた。なんたってお坊ちゃんだから常に懐は温ったかい、だから興味を持ったモノには片っ端から手を出した。いや、懐が温かくなくても、無理矢理、金を工面しては遊んだようで、同期の 牛原虚彦 監督がこう証言している。

 島津さんは大変な遊び手なんです。三河島に家がありながら湯島の芸者屋にいました。ですから、研究所に音次郎さんがおみえになって、「保が何もかも質へ入れてしまうんですが、私は湯島の近くの質屋の暖簾をくぐるわけにはいきません。誠にお願いしかねることですけれども、牛原さんひとつ質請けに行ってくれないか」とお金をお預かりしたこともあります。
               (牛原虚彦『INTERVIEW 映画の青春』キネマ旬報社)


 島津本人やその父に代わって質請けを任された牛原監督はいい迷惑であったが、映画界に入ってからもその遊び癖は直らなかった。
 上記の牛原のコメントに出てくる〝研究所〟というのは、映画俳優やスタッフを養成する学校のことで、これは大正9年(1920)に松竹が映画事業に乗り出した時に、新劇運動の旗手だった 小山内薫 を主宰者に据えて 「松竹俳優学校」 として発足したもので、途中から 「松竹キネマ研究所」 と名を変える。後に時代劇の大監督になる 伊藤大輔 や日活に移って名匠となる 村田実( やはり金持ちのボンボンで若い頃は手のつけられない我が儘なインテリだった)らが参加していたことで有名だが、牛原虚彦や島津もここに入った。松竹キネマ研究所では 『路上の霊魂』 (大正10=1921年・村田実監督)などの意欲作を出したが、どの作品も試行錯誤の域を出ない出来映えで、松竹の大谷社長は早々に見切りをつけてその年のうちにこの研究所を閉鎖してしまうのである。
 この〝研究所〟一派に替わって、大谷社長が引っぱってきたのが、京都の 野村芳亭 一派であることは、この「映画の災難」をお読みの方々には先刻ご承知のことでしょう(【野村芳亭、知られざる巨人】の3月19日付<その2>、3月23日付<その5>、再読のこと)。  〔続く〕


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映画ライター・高村英次、初の書き下ろし長編 『 ラストシーンの余韻 酒乱と失態、女難と頑迷、監督・溝口健二の狂おしき人生 』

高村英次

Author:高村英次
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