Coffee Break - 排除される変革者、松竹を変えようとした人々 <その1>

< 清水宏が松竹の大船撮影所を追われた > ところで 【清水宏 恐るべき子供〝天使と悪魔〟】の連載はひと休みとして、この当時(終戦前後)の撮影所の様子を大製作者・城戸四郎の動向を横目に見ながら、その城戸(蒲田=大船システム)に逆らった者たちの知られざる反抗(ドラマ)を紹介していくことにしましょう。

                 *****

◆ 松竹を松竹たらしめた大製作者・城戸四郎の功罪

 松竹映画に 蒲田=大船調 という独特のカラーを敷き、時代劇を製作した一方の雄・京都勢と拮抗する形で、日本映画のオーソドックスな形式(スタイル)を築いた、大船撮影所長の 城戸四郎 は東大卒のインテリであり、自称〝リベラリスト〟だった。
 偉大な製作者であり、日本映画の功労者であることは論を待たないが、しかしこの城戸が撮影所に君臨しすぎたために、松竹映画は蒲田=大船調というカラーを長らく固守することになり、よって硬直化し、マンネリ化・平凡化し、要するに--
〝きれい事で、生温くて、つまらない〟作品を量産して、日々、威勢を弱めていく。

 日本映画の斜陽化は60年代後半以降に顕著となるが、松竹自体の斜陽化は 『君の名は』 (昭和28-29=1953-54年)の大ヒットの後からすでに始まっていたといわれ、映画の観客数がピークに達した昭和33年(1958)には下り坂を下っていく一方であった。

 松竹が、松竹の映画がそうなる事を内部の人々が気付いていなかったわけはない。映画は、今も昔も時代の流行の先端にあって、よって常に「先に、先に」と次に来るもの(当たる題材)を予見していかなければならない。そうじゃないと衆人の関心を引く、キャッチーで魅力的な作品は生まれない。
 そうした場合、やはり映画会社のトップの感性が柔軟で、かつ好奇心に富んでいる事が求められるのだが、明治生まれのインテリにそれを求めるのは酷である。
 だがこの明治のインテリ(城戸四郎)は、殊更、自分の敷いてきた映画路線に自信を持ち、自分以外の人間がそれを変えようとしたり、矯めそうとするのを許さない。
 よって、こうした硬直した製作者のもとから作り出される映画は、時代遅れで古くさく、マンネリでダサく、要するに観客のメイン・ターゲットである若者や若い女性にアピールするようなものが生まれてこない。






 これら城戸四郎のウィーク・ポイントは、蒲田・大船の佳き時代からすでに周囲の者には知られていたのだが、その存在の大きさや自分に異を唱える者を周到に排除していく工作(権謀術数)を恐れ、その体制を退陣に追いこむことができなかった。城戸は、その昔、松竹の総帥・大谷竹次郎から直々に蒲田撮影所の運営を任された、時の権力者・野村芳亭監督を蹴落として、蒲田の所長になったほどの策士である〔【野村芳亭、知られざる巨人 <その17>】2013年4月6日付、参照〕
 だから、その城戸を追い落とす、となると容易ではない。その言動(反感)や行動(計画)がちょっと睨まれただけでも、格下げになったり、閑職や地方へ飛ばされるから迂闊な事も言えない。

 しかし、こんな巨大な城戸四郎に挑戦した男たちがいた。有名なのはメッセージ色が強い、政治的な内容の、アンチ大船的な作品を作った大島渚監督らの松竹ヌーベルバーグのグループであるが、そのずっと以前、戦前にも城戸が敷こうとしたディレクター・システムや城戸自身(の性格)に反抗して、諸口十九勝見庸太郎などの蒲田のスターが撮影所を去っていく、ということがあった。

 しかし、これから紹介するのは、城戸と同じプロデューサー職、撮影所長にあった、製作畑の人間の話である。
 城戸体制への反抗と挑戦は、城戸が松竹から離れざるを得なかった時期--第2次世界大戦末期と戦後の公職追放--に乗じて現れ、また城戸が在任中の時にもしばしば登場して、城戸の心胆を寒からしめた。
 寒からしめた、はオーバーかも知れない。なぜならそうした心ある松竹人はその都度、城戸によって葬り去られてしまうから。
 
 しかし、自分が先々、更迭もしくは左遷、失脚の憂き目に遭うことが判っていながらも、行動を起さざるを得なかった彼らは、おそらく真に松竹を、松竹映画を愛していた人達であったろう。

 その勇気ある男たちは--

   狩谷太郎大谷博高村潔細谷辰雄三嶋与四治脇田茂・・・

 といった面々。今回はこの「清水宏追放」を機に、この時に大船にいた狩谷太郎を紹介します。 〔続く〕


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Coffee Break - 排除される変革者、松竹を変えようとした人々 <その2>

◆ 国策の戦争映画を敬遠した城戸が窮地に・・・

 とにかく大船撮影所のドンであった 城戸四郎 とは、そういう人物(昨日アップ分)であったから、時局に迎合した戦争を礼賛する国威発揚映画など作りたくはなかった。

 小津や五所といった子飼いの監督達にも撮らせようとしなかった。

 それは態度としては立派だが、この時期、軍関係に撮影用フィルムや機材、セットを作るための資材などすべてを押さえられていた日本の映画会社は、それらを撮影所に廻して貰うためにある程度はお国寄りの姿勢を見せ、ゴマをする よりしようがなかった。
 加えて製作される作品数は減少し、また内容も時局に合わない娯楽的なものは映画化が許可されなかったから、しぜんと勇ましい戦争物や愛国的なテーマのものばかりとなる。
 城戸はそれが嫌だったから、これ見よがしな国策モノには手を染めなかったのだが、それでも 吉村公三郎 など当時の新進監督や二線級の監督には戦争映画を撮らせてはいた。吉村監督の『西住戦車長伝』 (昭和15=1940年)とか、

      ♪ ああ あの顔で あの声で
              手柄たのむと 妻や子が ・・・

 の主題歌「暁に祈る」(作詞・野村俊夫、作曲・古関裕而)が映画とともに大ヒットした 『征戦愛馬譜 暁に祈る』 (昭和15年、佐々木康監督)などがそれである。

 だがそんなものではまだ足りない。ライバルの東宝は、『ハワイ・マレー沖海戦』 (昭和17=1942年)や 『加藤隼特攻隊』 (昭和19=1944年、いずれも監督は山本嘉次郎)などそれこそイケイケな国策の戦争モノを大量に製作・公開して、大いに潤い、よろしくやっている。軍部のウケもいい。
 それに比べて「松竹は何をやっとる、なぜもっとお国に協力した作品が作れないのだ」ときて、「それは城戸四郎がいけない」という具合に、時の撮影所長に対する風当たりは日増しに強くなってくる。
 当時の状況を城戸自身はこう書いている。

 …(略)…松竹内部においても、城戸が時局に乗り遅れるというような批判が出て来て、それが僕の耳にも入ったわけだ。東宝は、海軍と協力して新しい資材を購入しているというのに、松竹の方は少しも見通しがきかない。
 これは城戸のうぬぼれが禍しているという批判がちらちら僕の耳に入って来る。
 僕自身としては確信があったので、いわゆる銃後の健全娯楽映画中心に製作をつづけていた。
                (『日本映画傳 映画製作者の記録』城戸四郎、文藝春秋新社)


 そんな内向きな城戸の背中を押すべく、大阪の松竹本社から送りこまれたのが、狩谷太郎 であった。 〔続く〕


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Coffee Break - 排除される変革者、松竹を変えようとした人々 <その3>

◆ 城戸のいぬ間に大船イズムを転換しようとした狩谷太郎 <前篇>

 …(略)…松竹の内部では依然として城戸は乗りおくれるということが云われ、白井松次郎会長は、狩谷太郎を大船の次長として、僕の所によこす。
 どうもこれが監視の役らしい。その上大谷社長もややそれに動くという気配が見えてきた。…(略)…。そこで多少の腐り気味になってきた。
                (『日本映画傳 映画製作者の記録』城戸四郎、文藝春秋新社)


 〝腐り気味になってきた〟城戸は、南方視察でシンガポールなどに渡り、帰国した昭和18年(1943)5月中旬、ついに大谷竹次郎社長に「撮影所長を辞めたい」と申し出て、了承される(*1) 。敏な大谷社長はこの時すぐ、

 大谷は、白井信太郎をそのあとの後継者にどうだと云ったから、僕は結構でしょう、といって白井を推薦した。
 ことに白井は製作に興味を持っているから、喜んで引き受けましょうということで白井が撮影所長に就任した。                                         (前掲書)


 白井信太郎はこの年の6月に大船撮影所長に就任するが、ほどなくして城戸体制の時に撮影所次長だった狩谷と交替することとなる。狩谷はその前は関西の松竹にいたのだが、昭和17年(1942)の暮れ、大船に赴任していた。
 『松竹大船撮影所前松尾食堂』(山本若菜、中央公論社)にこうある。

 その年の暮、城戸所長がいつも通りに、脚本部の野田〔高梧〕、伏見〔晁〕、池田〔忠雄〕等の諸先生と、野口鶴吉さんをお連れになって、ドヤドヤとおいでになりました。
 その中にお一方、見知らぬ方がいらっしゃいました。
 背の高い、痩せぎすで、黒縁の眼鏡をかけた面長の品の良い端正な方でした。
 オーバーをお脱ぎなさろうとするのを、お手伝いして、私はその黒い、少し長目のオーバーの、手さわりの柔らかく、暖かいのに驚き、さらに、その軽いのにまたまたびっくりして、ずいぶん贅沢な物をお召しなのだナと思いながら、お顔を見上げました。
 眼鏡の中の細い目が、やさしく微笑んで、薄い唇で「有難う」といわれた時、私の胸は急にドキドキしてしまったのです。                           ※〔〕内、ジャズ野郎註



 狩谷太郎は、贅沢品を身につけたソフィスケイトな物腰で、およそカツドウヤらしくない、ハンサムな中年男であったようで、『~松尾食堂』の著者で同食堂を切り盛りしていた二十歳過ぎの 山本若菜 は、たちまちポーっとしてしまう。やがて彼女はこの妻子持ちの色男と道ならぬ事にハマっていく。            〔続く〕

*1「城戸のその後」  城戸四郎は大船撮影所の所長を辞め、松竹本社に戻って専務となるも昭和18年の11月に正式に松竹を退社。その後、当時、邦画の製作・興行の一切を管理していた国策会社の大日本映画協会に常務理事(後に専務理事)として加わる。


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Coffee Break - 排除される変革者、松竹を変えようとした人々 <その4>

◆ 城戸のいぬ間に大船イズムを転換しようとした狩谷太郎 <後篇>

 先にも書いたように、城戸の後を受けて大船撮影所長に就任した白井信太郎は、早々にその職を狩谷太郎に譲り、所長の座を降りた。

 城戸さんが、野口〔鶴吉〕、古田〔弘隆〕さんや、脚本部の方々とおいでにならなくなると、狩谷次長が企画部の-今まで企画部があったことを私は知りませんでした-海老原〔靖兄〕、前田〔?〕、清島〔長利〕(後のシナリオライター椎名利夫)など、今までお顔をしらなかった諸氏を連れて呑みにいらっしゃいました。
「次長さん、ビール」
 と、私がご注文を通すのを聞いた海老原さんが、
「次長じゃないよ、所長だよ」
       (『松竹大船撮影所前松尾食堂』山本若菜、中央公論社) ※〔〕内、ジャズ野郎註


 というわけで、その年=昭和18年の秋に、それまで撮影所の次長であった狩谷太郎は所長に格上げとなる。狩谷新所長は海老原、前田、清島ら企画部の面々を擁して、なんと城戸の築いた松竹大船のディレクター・システムをぶっ壊そうと考えていた。

 狩谷所長は、この方々をブレーンとして連れて来られ、監督至上主義の大船を、プロデューサー制に改革されようとなさったのです。                        (前掲書)

 〝監督至上主義〟ディレクター・システムについては、前にも書きましたが、この終戦の時期、戦地に行っていた松竹の助監督・西河克巳がその概要を説明しているので、念のために転載しておきます。

西河  大船というのところは独特な監督システムで、今と違ってプロデューサー兼監督みたいなものです。全員が山田洋次みたいなものですから、所長になってみても、非常にうっとおしいんですね。
 〔狩谷〕所長が何とかかんとか言っても、だれも聞いてくれない(笑)。
 当時は各組がみんなプロダクションですよ。勝手にやっていましてね、いまのように製作部が横の連絡をとったり統一したりしないんです。
 製作部というものがないんですから。
 ですから、勝手に社内プロダクションが動いているようなものでしょう。一国一城の主がいるようなものですから、所長命令なんか誰も聞いている人がいないような状態ですから、既成監督のそういうものが及ばない、自分の直系の子分といいますか、息のかかった者をつくりたいというのが、あの人〔狩谷〕の本音だったんですね。
   (【蕩尽の映画、蕩尽の人生  西河克巳インタビュー】 聞き手・山根貞男
    『ユリイカ 3月臨時増刊 総特集 監督 川島雄三 』〔1989年3月、青土社〕所収)
                                     ※〔〕内、ジャズ野郎註


 息のかかった者、つまり自分の手足となって働いてくれる、子飼いの監督を作りたかった。そういった意図から、狩谷は撮影所内の助監督たちに試験を課して、合格すれば即監督に昇格させるという、思いきったプロジェクトを始める。 〔続く〕


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Coffee Break - 排除される変革者、松竹を変えようとした人々 <その5>

◆監督昇格試験で川島雄三を監督に

 狩谷の行った「監督昇格試験」は、この当時、国が定めた「映画法」に基づいて日本映画監督協会が映画業界の各職種(監督やキャメラマン、録音、俳優などすべて)に課していた免許制の「資格認定試験」とは違う、別物である。
 あくまでも松竹在籍で、3年以上の助監督経験のある者が受けられる、大船撮影所内の「監督の昇格試験」である
試験で合格して監督になる、ということになれば、師匠の大監督のプッシュで監督に昇格したわけではないから、今までのような、封建的なしがらみもある程度はなくなる。

 さらにこの試験を狩谷が行った目的は、子飼いの監督を作るだけでなく、監督自体の数を早急に増やす、ということがあった。

西河  ええ、小津(安次郎)さんがいない、渋谷さんもいない、吉村さんもいない。せいぜい原研吉と大庭〔秀雄〕さんも何かちょっといなくなったりしたんですが、要するに、人がいないわけです。
 だから、新しい監督をつくらないといけないということがあった時に、狩谷さんは松竹一族じゃなくて、東大出の人で、頭脳流入でどこかから連れてこられた人なんですよね。
     (【蕩尽の映画、蕩尽の人生  西河克巳インタビュー】 聞き手・山根貞男、
      『ユリイカ 3月臨時増刊 総特集 監督 川島雄三 』〔1989年3月、青土社〕所収)
                          ※〔〕内、ジャズ野郎註


 太平洋戦争も後半に入っていたこの時期、作品数は減少していたとはいえ、映画会社なのだから新作を年に十数本は作らねばならない。ところが大船の主力監督--小津安二郎、吉村公三郎、渋谷実など--は、応召されて戦地に行って不在であり、売れる作品を作れるほどのベテランの監督が極端に減っていた。これでは現場は廻らない。
 そこで狩谷はいっそのこと、チーフやセカンドあたりの助監督を一足飛びに監督にしようとしたのである。

 この試験で合格し、入社4年という早さで監督に昇格したのが、例の、奇才と呼ばれた 川島雄三 であった。

 これ〔監督昇進試験〕は従来の監督推薦による慣習を破ったもので、親方の監督の発言力の強弱によって、選択を左右される不公平さをさける狩谷所長のねらいであった。
 テストの問題は、森本薫の『激流』の一節で、それの演出プランとコンテを書けというものであった」
 萩原〔萩原徳三〕さんはこの試験に落第しました。
 そしていつもご一緒だった川島さんが、トップで合格されたのです。
 後日、所長をやめてから狩谷太郎は私にこういいました。
「大庭チャン(秀雄監督)がね、川島君の答案を持ってきて
『所長! 所長! すごい! このコンテのたて方はすごいですよッ!』って、
 興奮して所長室に駆け込んできたんだよ」と。
        (『松竹大船撮影所前松尾食堂』山本若菜、中央公論社) ※〔〕内、ジャズ野郎註


〔続く〕

PS 昨年(2013年)、5月8日アップの【 松竹の監督系譜-蒲田(大船)調の行方 <その8> 】「 ◆芳太郎を引き受けた川島雄三という男 」でも、この監督試験で大庭秀雄監督が川島の答案に感激して所長室に駆け込んできた話を紹介しています。 


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映画ライター・高村英次、初の書き下ろし長編 『 ラストシーンの余韻 酒乱と失態、女難と頑迷、監督・溝口健二の狂おしき人生 』

高村英次

Author:高村英次
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