巨匠のムチャブリ-野村芳亭、知られざる巨人 その1

◆序文 映画黎明・松竹蒲田の頃<前篇>

 昨日、めでたく「完」を迎えた黒澤明監督の活躍した時代から、ぐっと遡ること数十年。十数年ではありません、数十年です。つまり映画が日本に伝来し、活動写真、もしくはカツドウと呼ばれていた黎明期の事をこれから語ろうと思います。
 「エー、そんな古臭い話なんか御免こうむるわ」などと言わないで、しばしお付き合い下さい。

                      *****

 昭和33年(1958)に年間の映画人口が11億人を突破した黄金期<昭和20年代後半から30年代中期>が日本映画の最盛期、とはよく言われるが、戦前の明治末期から大正、昭和の初め頃はもっとすさまじかった。映画が1本当たれば、その上がり(給料、ギャラ)で監督や脚本家あたりは「家が買えた」なんてのは当たり前で、東西の高額な名画や骨董品がいくらも買えた、というほど儲かったというから、羨ましい限り。

 日本初の映画興行は、明治30年(1897年)に染物屋の店主だった稲畑勝太郎が渡欧先のフランスからリュミエール兄弟が発明したシネマトグラフを輸入し、大阪難波(ミナミ)で公開した事に始まるが、この時、観客に見せたのは景色やスケッチ程度の映像で、しかもほんの数分だった。

 もちろん、フィルムは1本しかないから、これを何度も映写機に掛けて廻しまくる。すると、映画フィルムの縁についている、フィルムを掻き落とすための穴(パーフォレーション)が、映写機の爪でもって映写の度にひっかかれるからボロボロになる。やがて破れ、穴が繋がって縦長の溝になったりすると、もう映写機にかけられない。それを補修してまた無理矢理、映写機にかけて客に見せる・・・といった強引な映写方法でもって廻しに廻した。だがそんな具合に劣化おびただしい映像でも、当時の大衆はこのニューメディアを見ようと殺到した。
 とはいえ、同じ映像を見せられれば、客の方も飽きてくる。だから客が減ってくると、映写機ごと違う土地へ移って上映し、客が飽きて減ってくるまで興行する、そしてまた別の土地へ・・・こうしてこの巡回上映は各地に映画の常設館(当時、劇場や芝居小屋は芝居上演がメイン)が出来てくるまで続くのである。





 あまりにも映画に客が来て、儲かるもんだから、商社は外国からフィルムを買いつけたり、映写機を自社で製造したりする。そして興行する小屋(劇場)にはヤクザが所場代や上がりの分け前をよこせ、と押しかける。
 芝居小屋などの人が集まる場所にヤクザ屋さんが集まってきて、その上前をはねようとするのは、江戸時代からの習わしみたいなものだから、映画もその初期にはさんざん彼らに翻弄される。芸能界が、今もってそうした方々と縁が切れないのは、こうした由来によるわけです。

 そうした映画を手がける中小の商社が集まって日活(日本活動写真株式会社)という日本映画最初のメジャーな映画会社が明治43年(1910)に出来、やがて大正9年(1920)に演劇興行会社だった松竹が映画製作に参入してくる。

 今回の話はここから始まるわけですが、前回の黒澤明の時代や、デジタルシネマでクリアな映像が見られ、またDVDでも3D映像が当たり前のように見られる現代とはまったく違いますから、頭を180度切り替えてついてきて下さい。〔続く〕



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巨匠のムチャブリ-野村芳亭、知られざる巨人 その2

◆序文 映画黎明・松竹蒲田<後篇>

 当然ですが、この時代(明治~大正~昭和6年)の映画はモノクロサイレントです。

 サイレントとはいっても、劇場には映画を解説する弁士(カツベン)がいて、これが、画面に女が映る時は女の声で、子供の時は子供の声で話しをする<声色>で台詞を喋り、解説も付けていた。加えてそのカツベンがバイオリンを弾いて劇伴を付けたり、中にはちょっと楽隊が演奏した小屋(大劇場ですが)もあります。

 当時の日本映画の題材はそのほとんどが--

歌舞伎の狂言(演目)や歌舞伎や講談から抜き出してきた話=時代劇、と、
歌舞伎をより分かりやすくして庶民的にしようとする新派、もしくは新生新派の演目=現代劇

 --が主流というか、こればっかしであった。探偵モノとか活劇モノもあるにはあったが、主流はチャンバラと悲劇&悲恋モノで、もちろんSFとかポルノなんてのはないのです(当たり前か)。
時代劇には、尾上松之助という大スターが出て、これを後年“日本映画の父”と呼ばれるマキノ省三が巧いこと使って、京都の日活、もしくはマキノ映画は大繁盛!
 一方、現代劇の方は新派もどきの、とにかく悲しく辛い庶民の悲劇・哀話、男女の悲恋物、継子イジメみたいな暗~い話ばかりで、まったくやりきれない題材ばかりだったが、こちらも当時はこうしたジメジメした悲話、情話が大衆に受け、小屋には客が殺到した。

 時代劇、現代劇どちらの場合も、女優は女形、つまり男の役者が女役を演じていて、女性が女役を当たり前に演じてスクリーンに出始めるのは、松竹や映画芸術協会といった当時の新興勢力の作品から。日活は女性を演じる女形がすでにスターになっていて、撮影所内でもそこそこの発言権(権力)を持っていて、後に監督になる衣笠貞之助などはそうした人気女形の一人だった。この女役に女形を使っていた、という事ひとつをとってみても、映画がその初期に歌舞伎の趣向をそのまま導入していた事が判るわけです。

 というような映画史の本に出て来る映画伝来&草創のことを、ジャス野郎は長々と語りたいわけではないのです。語りたくはないのですが、これから紹介する松竹草創期の大監督・野村芳亭については、これらの事を押さえておかないと野村監督の生きた当時の状況が掴めないので書いた次第です。

ともかく、この時の映画をめぐる状況は、荒野にペンペン草が生えたばかりの状態。やけに客が殺到して、何を作っても儲かるような中で、様々な人達が映画独自の話法や表現を模索し、開発し、その中に現代性や芸術性を彫り込もうとしていく。カツドウを“ただの見世物”ではなく、文学や音楽、美術と同じ、れっきとした芸術にしたい、または芸術である事を証明したい、との志をもった映画人--小山内薫帰山教正村田実などなど--が立ち上がる。
 しかし彼らの映画はハイブロウすぎて一般客には受けず、当然、当たらない。
 
 そこで、登場するのが、芝居畑から松竹キネマに引っぱられてきた無類の芝居通、野村芳亭であったのです。  〔続く〕


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Coffee Break-淀川さんの『ラジオ名画劇場』!

◆ 素晴らしき映画の話と話芸の玉手箱

 ちょっとした映画ファンならこの野村芳亭なる人物が、同じ松竹の監督で推理サスペンスを得意とした野村芳太郎監督( 『ゼロの焦点』『砂の器』『鬼畜』『事件』 など名篇多し)の父上であることを知っている。ジャズ野郎が、野村芳亭(ほうてい)という(変な)名前を初めて耳にしたのは、淀川長治さんのラジオです。

淀川さんといえば、 “サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ” でお馴染みのテレ朝の『日曜洋画劇場』の名解説を条件反射的に思い出すわけですが、ラジオでも実にいいお仕事をされていて、昭和50年代に 『淀川長治ラジオ名画劇場』 (正確には昭和48年から昭和56年まで放送)という番組を週1回やられていました。関東地方ではいつ放送だったか知りませんが、北海道(札幌)では月曜の夜8時から流れていて、当時、映画を本格的に見初めたばかりのジャス野郎は、晩飯を食べるとすぐさま自室に籠もり、淀チョーさんの放送が始まるのをワクワクしながら待ってたものです。

 オープニングは、確か--
『鉄道員』 (ピエトロ・ジェルミ監督)の悲しげなギターの旋律に子供の声が被さったシーンの音声や、
『第三の男』 (キャロル・リード監督)のハリー・ライム(いわずと知れたオーソン・ウェルズ)が地下水道を逃げるシーンの音(靴音が カン!カン!カン! と地下溝内に反響して・・・今でもこの映画を観てて、このシーンが出てくると、その靴音で淀川さんのラジオを思い出します)やら、他の映画の音声がコラージュされて、
その途中から淀川さんの番組開始の弁--
「今日は○○について語りますよ、楽しみですねぇ~、恐いですねぇ・・・」
 といったお題発表のご挨拶があって、そのバックに、『ラジオ名画劇場』のテーマ曲というべき(映画)音楽はビリー・ワイルダー監督の名作『あなただけ今晩は』 (昭和38=1963年)のタイトル曲が景気良く流れる・・・と、実はこの曲が『あなた~』のテーマ曲だって事はずっと後、この作品を観た時に知った事ですが、この
 ♪ タタ、タンタタンタタン、タタ、タンタタンタン……タン、タタン、タンタン! ♪ という曲(コレじゃ、判らないですよね)の陽気なリズムが、番組の感じにピッタンコでよく口ずさみました。

きっと、いや、絶対、ジャズ野郎に映画の面白さ、深さを、面白おかしく教えてくれたその嚆矢こそ、この淀川さんの『ラジオ名画劇場』です。とにかく夢中で聴きました。
 その証拠に、最近、『サイコ』 (昭和35=1960年)製作時の舞台裏が 『ヒッチコック』 (平成24=2012年)として映画になったアルフレッド・ヒッチコック
『影武者』 (昭和55=1980年)を発表した時の黒澤明
そしてコレは確か1980年の12月まるまる1カ月を使って(つまり4週全部)語り尽くしたチャールズ・チャップリン
 の番組はエアチェックしておりまして、そのテープを未だに持ってます。チャップリンの回なんて、すごぅございますよ。淀川さんといえば、チャップリンを愛して愛して愛し抜いた人ですからね。そらァ、もう、語る口調にも力が入って、ホント、メチャメチャ熱ぅございました!






 ヒッチコックって監督がどういう映画を撮る人か、黒澤明のタッチとはどういうものか、を識ったのみならず、他の回で特集してくれた--
フェデリコ・フェリーニ、ルキノ・ヴィスコンティ、フレッド・ジンネマン、ジャン・ルノワール、フランソワ・トリュフォー、サタジット・レイ、ウィリアム・ワイラー、ジョン・フォード、オーソン・ウェルズ、エリッヒ・フォン・シュトロハイム、デビッド・ワーク・グリフィス ・・・アレレ、段々古い人になってしまいましたが、今村昌平木下恵介大島渚も(大島渚については、“私、この人嫌いなんです。なんでもやったらいい、見せたらいい、いうような映画嫌いなんです”と言ってた言葉が忘られない!)--

 これら名監督・大監督のことはすべて淀川さんのこのラジオで識りました。監督の紹介だけでなく、淀川さんが試写会で観た新作の話題もあって、それを参考に映画を見に行ってましたから、本当にお世話になりました。時には、記憶違いや、新作映画のネタバレもあったけど、それすらも今思い出すと懐かしいし、楽しい想い出です。

 今、淀川さんみたいに判りやすく映画の面白さを伝えてくれる人って、いないですね。 実際に映画を撮ったこともなく、フィルムを触った事もない、脚本すら書いた事がないにもかかわらず、知識だけは妙に持ってる、耳年増な“知ったかぶりの識者や評論家”ばっかりで。そんな人達に高踏的な話をされても誰も理解できない。だから、映画を見た“感想”程度の事をフランクに喋るタレントまがいの自称“映画ナビゲーター”や“コメンテーター”が重宝されるんでしょうか。でも何事においてもそうだと思いますが、(モノを語る)“基本”をしっかり持っていない、っていうのは、どうも・・・。

 前置きが果てしなく長くなりましたけど、この『ラジオ名画劇場』で小津安二郎や五所平之助といった松竹の往年の名監督を説いた回か、もしくは野村芳太郎の新作の紹介の時か、で初めて野村芳亭という大監督がいた、という事を識ったわけです。もちろん、その時は、芳亭さんには何の興味も持ちませんでしたけれど。  〔続く〕


< 『祇園の姉妹』や『浪華悲歌』で日本映画にリアリズムを打ち立て、
  『西鶴一代女』『雨月物語』などの名作を放った溝口健二の人生を、
  伊藤大輔・小津安二郎・黒澤明などのライバル監督&スタッフとの
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巨匠のムチャブリ-野村芳亭、知られざる巨人 その3

◆ 芝居と興行と劇作に精通

 何度も言いますが、野村芳太郎『拝啓天皇陛下様』 (1963)や 『砂の器』 (1974)といった名作を放った監督で、特に松本清張原作モノでは他の追随を許さなかった。助監督の時には黒澤明が松竹(大船)に来て撮った『白痴』 (昭和26=1951年)につき、あの黒澤監督に怒鳴られなかっただけでなく、「日本一の助監督」と褒められた優等生であった。
 野村芳亭は優秀な芳太郎の父親である。ゆえに当然の事ながら、彼もものすごい人物なのである。

 誕生は明治13年=1880年だから19世紀末で本名は野村粂蔵。京都生まれの京都育ちで、父は〝上方浮世絵の最後の輝き〟といわれた二代目・歌川芳圀(本名・野村与七)で、野村家は江戸浮世絵の大家・歌川国芳の流れを汲む由緒ある画系である。
 芳圀は芝居小屋の看板や背景画を描く劇場画家を生業としており、芳亭(芳亭は画号)もそれを継いだため、芝居小屋などへの出入りが多く、芝居好きとなり、演劇関係者との知己も広がった。父が絵師であり、自身も絵を描くから自然と画に対するセンスが磨かれ、歌舞伎や新派など数多くの芝居を見ることによって劇=ドラマに精通していった。つまり監督になるための素養を、芳亭は知らず知らずのうちに培っていったことになる。

 やがて明治の終わりに映画(映写機)が持ち込まれ、カツドウ(活動写真、映画を当時こう呼んだ)に興味を示す。 【野村芳亭、知られざる巨人 その1】で紹介した、稲畑勝太郎がフランスから持ちこんだシネマトグラフを大阪ミナミで本邦初上映した際、その上映を芳亭は手伝っているのです。この時、芳亭17歳。だから芝居好きの上に新しいモノ好きでもあった。好奇心旺盛な人だったってわけです。

 当時の映写機は、上映だけでなく撮影もできる兼用機だったから、芝居好きな旦那衆やひと山当てたいと願う好事家がこれに飛びつき、映画製作や上映会=興行が始動していく。
 やがて日活などの映画会社が出来、日活の経営に参加した実業家の横田永之助から映画製作を依頼されたマキノ省三(京都で千本座という劇場を経営)は猛然と映画製作を始めていくのですが、野村芳亭はこの時よりももっと前から省三とは仲が良かった。芝居の看板や背景画を制作していたから、同じ京都で千本座という芝居小屋を持ち、演出と興業を取り仕切っていた省三とは、仕事を通じての馴染みであり、省三の息子・ マキノ雅弘監督に言わせると、二人は親友だった、という。 
 ある文献によれば、芳亭は日本初の映画上映に参加するほどの大のカツドウ好きだった、とあるのだが、興味は大いにあり夢中で撮影に興じたりもしたが、当初はマキノ省三ほど映画にのめり込まなかったようです。可愛がったマキノ雅弘にこう言ってます。

「わしゃカツドウ嫌いでおとっつあんと別れたが、千本座の舞台の書割絵かきやったんや…(略)…」
                  (『マキノ雅広 映画渡世・天の巻』マキノ雅広、ちくま文庫)


 芳亭が、おとっつあん(省三)と〝別れた〟とは何を指すかというと、それは連鎖劇という、いわゆるショートフィルム製作のことでありました。     〔続く〕


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巨匠のムチャブリ-野村芳亭、知られざる巨人 その4

◆大正期の映画界を席捲した連鎖劇

 連鎖劇とは芝居と芝居の合間に、短い映画を上映する新種の上演スタイル。「絵が動く」「写真が動く」として当時、大衆の関心の的であった映画を、芝居の途中に挟み込んで芝居を盛り上げたもので、例えばロケで撮った追っかけとか風景といったアウトドアのシーンやシークエンスが上映され、これがヤンヤの喝采を浴びた。連鎖劇をやり出したのは大阪の映画会社(天活)だと言われるが、大正期にこれは一時、爆発的に流行した。
 この上演スタイルは最近でも度々行われ、1970年代には寺山修司が実験的に連鎖劇風な芝居をやっていたし、現在では劇団☆新感線などがこの趣向を実践している。

 芳亭はマキノ省三と一緒に、芝居の幕間にかける短編映画の製作に励んだ。そしてこの時、ムービー・キャメラにフィルムを装填し、クランクを手で回して、レンズを通して芝居を見、これを撮る、といった映画撮影の基本的な手順やメカニックな知識を知ったものと覚しい。これが後々生きてくる。
 若き日、映画に夢中になった芳亭だったが、まだ芝居に未練があったので映画には行かず劇場経営に向かう。芝居といえば当時は松竹の全盛であり、松竹の2大巨頭・白井松次郎大谷竹次郎とも知己を深めていく。マキノ省三、白井、大谷と芳亭とは芝居が取り持つ縁である。

 やがて、興行に鼻が利く、という才覚を買われて松竹から新京極歌舞伎座など劇場を任され、やがて芳亭は勇躍、東京に進出する。浅草の公園劇場や常盤座で芝居を打つ傍ら、南千住で料理屋などを手がけるうち、大谷竹次郎から本郷座の経営を任された。
 芳亭はそこで自分の小屋にかける芝居〝連鎖劇〟に使うため、再び映画製作に手を染め、芝居の興行全般を指揮して手腕を発揮していくことになる。   〔続く〕


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『 ラストシーンの余韻 』 発売中!
映画ライター・高村英次、初の書き下ろし長編 『 ラストシーンの余韻 酒乱と失態、女難と頑迷、監督・溝口健二の狂おしき人生 』

高村英次

Author:高村英次
電子書籍版はアマゾン Kindleストア 及び 楽天ブックスから、紙の書籍版は製本直送.comより発売。直近の各コラムの末尾にある発売告知から販売サイトに遷移、またはポップアップ画面が出ますので、そこで購入できます。 

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