日本の映画監督 -〝チョコ平〟五所平之助の有為転変

◆ 東宝争議で嘲笑(わらわ)れた巨匠

 何度も名前を出している 五所平之助 は松竹映画を代表するれっきとした巨匠である。
 大店の跡取りながら妾腹の子で、実の母親と引き離されるなど辛い幼年時代を過ごしたことは先に触れたが、足の悪い末弟がおり、その夭折した弟の記憶をベースに『村の花嫁』 (昭和3=1928年)を作ったりする苦労人ではある。だが、時として臨機応変というか計算高いというか、抜け目なくいろいろに顔を出し、また手を出しては〝ヤブ蛇〟ってな形で、失敗することもよくあった。
 野村芳亭絡みでよく名を出してきましたが、五所はもともと同じ東京の商家育ちの島津保次郎の門下です。
 その助監督時代は、

 私が撮影所でコマ鼠のようにまめに動き回るので、「チョコ平」という渾名をつけられ、「チョコ平さん」と呼ばれてもそんな嫌な気がしなかった。…(略)…。   (『わが青春』五所平之助、永田書房)

 というように、チョコ平と呼ばれながら立ち働いており、この頃、松竹では新年には自社のスターを引き連れて地方に顔見世のサービス行脚に出かけるのが恒例で、大正13年の新春には九州へ初めてご挨拶回りに出かけた。当時の男性スター・岩田祐吉さんが頭で、五月信子、東栄子、柳咲子に梅村蓉子といった面々で、団長格はもちろん、芳亭監督であり、五所もこれに同行した。この時の五所の役目は--

 私は、東栄子さんの彼氏である小田浜太郎という一級撮影技師に秘かに頼まれ、旅行中の栄子さんの護衛の役を引き受けてしまった。            (前掲書)

 小田浜太郎 は野村芳亭とコンビの名カメラマンで、この頃、小田は蒲田女優の 東栄子(あずま・えいこ) とデキていたようだが、五所は京都で芳亭と柳さく子の逢瀬を段取ったように、ここでも小田の命を受けて東栄子のガードマン兼お目付役を仰せつかった。そして、この骨折りが小田から芳亭監督に伝わったものか、この後、五所は念願叶って野村組に助監督として引っぱられている。如才がないというか、なかなか巧いことやってるわけです。
 そしてついた作品が、【野村芳亭、知られざる巨人 <その18>】(4月7日付)でも紹介した、京都へ左遷される将軍さんが蒲田で撮った最後の作品『大尉の娘』というわけで、芳亭監督の後押しもあってその翌年の大正14年(1925)5月、めでたく監督に昇格する

 これだけを見るとなかなか世渡り上手に思えるのだが、監督になってからがなかなか大変なのである。
 監督になってその初期に2本の作品が お蔵入り(*1) されてミソをつけ(第2作『空は晴れたり』と第5作目の『当世玉手箱』だが、どちらも後に公開されている)、そこで丁度蒲田にやってきた田中絹代を得てヒット作(『恥しい夢』や『村の花嫁』)をモノにし、ようやく本調子( 『からくり娘』 )が出てきたと思ったら、大スランプ(昭和4~5年)と大失恋でとことん落ち込み、真剣にピストル自殺を考え、結婚するも愛妻を亡くすという悲劇に見舞われる。
 この妻が息を引き取った時、五所は出先にあって妻の死に目に逢えなかった。だが彼は横浜駅の駅頭で自分を見送る妻の姿を遠目に見ており、その時間はまさに妻の恵美子が病院で亡くなっていた臨終の刻だった・・・その妻の姿は亡霊(!)ということになる。
 五所の妻は元女優の春日恵美子であった。五所は日本初のトーキー映画『マダムと女房』(昭和6=1931年)を撮って長いスランプを脱したのだが、それを喜んだ矢先、この愛妻の死である。恵美子は妊娠しており、難産の末に母子ともに亡くなったわけで、五所は悲嘆にくれた。なんとも辛いことだが、この後、昭和11年(1936)には五所自身が肺結核に侵されて数ヶ月間、休養し、ようやく蒲田に復帰するも、今度は城戸四郎と喧嘩して松竹を辞めるハメに陥る(昭和16=1941年)・・・。






 まったく絵に描いたような波瀾の監督人生であり、大いに同情すべきところだが、五所が〝計算高い〟というのは、松竹を辞め、大映などで映画を撮った後、戦後に所属した東宝でのことである。ココで彼はまたもや東宝大争議という大嵐に見舞われる。『君の名は』などを撮った〝法皇〟こと大庭秀雄監督の話--。

……五所平之助って、あれ東宝に行ったでしょ。東宝争議があってね、昭和二十一、二年かな。大船来たんですよね。大船の監督にもいっしょに争議やってくれってわけじゃないけど、なんとなく声援してくださいっていう、儀礼的な意味でね。そこまではいいんですよ。帰りに所長室の月森〔月森仙之助〕に、
「東宝が今、ああいうことになってるから、何かあったら一本」
 って言って帰っていった。なんて奴だ。ある意味で、裏切り行為でしょ。人間としては、唾棄すべき奴だなあと思ったですよ。まあ、苦労もされたんだろうけどね。
(『人は大切なことも忘れてしまうから-松竹大船撮影所物語』山田太一 斎藤正夫・田中康義・宮川昭司・吉田剛・渡辺浩〔ゆたか〕、マガジンハウス)   ※〔〕内、ジャズ野郎註。


 仲間がみな自分の仕事や生活そっちのけで争議を闘っている最中に、自分一人が争議後の事を考えて「何かあったら1本」、つまり「1本映画を撮らせて頂戴ね、お願いね!」という売り込みをやっているというわけである。だから〝五所ってのはなんて奴だ、狡い、姑息だ〟と大庭監督は憤っているのだが、東宝争議でワイワイやってた五所は、その後どうなったかというと、「年寄りの冷や水だ」と周りから冷笑されるハメになる。
 よく〝来なかったのは軍艦だけ〟と言われる駐留米軍の戦車や戦闘機と警官隊が東宝撮影所を包囲した昭和23年(1948)8月19日--東宝の砧撮影所に立て籠もっていた組合員がついに撮影所を明け渡す--その当日、組合員達が撮影所を退去する際、五所はどういうわけか、その先頭を切って門を出る ことになり、それが写真やニュース映画に撮られてデカデカと出てしまい、やたらと目立ってしまった。ゆえに「よく頑張ったな」などと賞められるどころか、「いい年をして、今更、争議でもあるまいに……」と一部で揶揄されてしまうのである。

 そんなわけで五所平之助という人は、先の関東大震災の時に大阪に映画を見に行ってクビになりかけた事件もそうだが、時にやることがヘマである。そればかりか、紆余曲折の末に損をするというような、まことにドジな、オチャメな監督人生を送っている。どことなく憎めないお人であり、一時、彼がついた野村芳亭もそうした憎めない無邪気な部分をもっていたと言われる。 〔続く〕

※1 「お蔵入り」・・・映画作品の出来がひどく悪い、とか、映画会社の上層部にウケが悪かったりした場合、その作品の劇場公開を取りやめる事。またその未公開作品を言う。松竹の場合、お蔵入りの作品を作った監督は、再び助監督に降格させられる、というシビアなこともあった。幸い、五所はコレを免れているが、吉村公三郎や豊田四郎、渋谷実などは一旦監督になってから助監督降格を食らっている。


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緊急寄稿  三國連太郎 <前篇>

◆ 勝手に他社作品に出ても、干されなかった男

 スターや役者さんについて調べる時は、一応、ベースとして俳優名鑑を参考にするわけですが、〝知ってるつもり〟だった男優・女優の生い立ちや出演歴、芸歴(フィルモグラフィー)などを確認して、改めて感心したり、発見したりすることが多々あります。

 そんな中で、〝この人はなんて人だろう・・・〟と絶句した俳優さんが一人いる。訃報が流れた三國連太郎である。

 例えば、この種の名鑑の中の定本のひとつ、キネマ旬報の『日本映画映画全集・男優篇』の「三国連太郎」を読んだ時がそうだった。この人は松竹のスター募集にパスして、名匠・木下恵介監督の 『善魔』 (岸田国士原作、善魔とは悪魔に対しての〝善魔〟)でラッキーなデビューをし、その後も木下作品に続けざまに起用されるが、東宝の大作時代劇 『戦国無頼』 (昭和27=1952年、稲垣浩監督)に出たくて松竹に無断で出演してしまい、これが松竹と東宝の間で問題となる。この頃はスターや有力監督の引き抜きを禁じた 五社協定 が出来る直前だったが、暗黙の了解みたいなものがあって、俳優個人の考えで勝手に他社の作品に出るなどということはできない。映画会社の上層部の方で交渉が成立しない限りは、円満な他社出演はできなかったのだ。
 にも関わらず、三國は『戦国無頼』に出てしまい、怒った松竹は彼を解雇する。三國は結局、専属スターとして東宝と契約することになる・・・とは、『男優篇』「三国連太郎」の解説の最初の要約だが、この本の解説には実情と違う部分がある・・・例えば、

 同年〔昭和25=1950年〕12月、松竹の〝あなたの推薦するスター募集〟に、倉吉時代に出入りしていた写真館の主人が、彼〔三國〕の写真を送ったことを知り、俳優になる気はなかったが電車賃を支給するという、それにつられて大船撮影所へ行く。面接を受けて帰ろうとすると、木下恵介監督の助監督をしていた小林正樹に呼び止められて木下に紹介され、大船へ研究生として入ることになり、やはり木下の助監督をしていた松山善三の推薦で折りから木下が準備中だった「善魔」の主役にいちやく抜擢される。……
                    (『日本映画映画全集・男優篇』キネマ旬報社)


 と書かれてあるが、写真館の主人が写真を送った、という件は真っ赤なウソである。本当は食うや食わずで銀座をブラついた時、『善魔』に出演させる新人俳優を捜していた松竹のプロデューサー・小出孝に偶然スカウトされて、キャメラ・テストを受けることになって映画に出るハメになってしまったのである。いずれにしても、そのデビューはラッキーだったわけですが、この時、松竹が三國につけたプロフィールは、

「大阪大工学部卒業の経歴の持ち主で、特技は水泳と柔道。とくに水泳は学生チャンピオン。その堂々たる体格と国際的スタイルに合わせて、知性美を持つ有望な新人スター」
              (『生きざま死にざま』三國連太郎、KKロングセラーズ)


 というもの。もちろんこれもこの前半部分が真っ赤なウソ。大阪大卒業どころか、中学を中退して家出して警察に連れ戻され、兵役を拒否して大陸(中国)に渡り、放浪するもそこで兵隊に取られ、戦場で九死に一生を得る、といった具合に、三國は無頼と波瀾の青春期を過ごしている。銀座をブラついていたのは、復員して食い詰めていたからであった。
〝水泳の学生チャンピオン〟などというのは、映画会社が新人を少しでもよく見せようとして盛った捏造であり、『男優篇』にこの大学卒のデータはないが、「三国解説」の執筆者はこうした映画会社が出してくる資料を鵜呑みにして原稿を書いているハズだから、書き手を無碍に非難はできない。
 だがこのニセのプロフィール(履歴を捏造された事)に、若き三國は随分悩んだようだ。






 三國には、若い時から約束事や体制からはみ出そうとする自由人的な気ままさがあり、自分の思いつきや希望で行動を起こす。先に紹介した他社作品『戦国無頼』の出演などはまさにそれであり、この映画の製作中も何度か勝手に行方をくらまし(失踪)、その三國を巡って東宝と松竹の間で争奪戦が行われた。その経緯は、当時の東宝の宣伝マン・道江達夫『昭和芸能秘録 東宝宣伝マンの歩んだ道』に詳しい。

 ……東宝が三船敏郎の共演として、松竹へ正式に交渉したものの、松竹は三国がまだ演技研究生であり、松竹社員であることを理由に拒絶した。しかし、東宝は三国と松竹の間に正式契約がないことを確認して、三国個人に交渉を進め、三国も乗り気で、一月末、出演料(五十万円)の一部(二十万円)を受け取ったと報道されるに及び、三国をめぐる松竹、東宝の争奪戦がマスコミの大きな話題となった。三国は松竹の出演禁止を蹴って、『戦国無頼』一本にでたあと松竹へ戻るつもりで、二月十二日東宝と正式に出演契約。
 これに対して松竹は三国の解雇処分を決定。ここに至って三国はいったん松竹に詫びを入れ、東宝不出演を条件に解雇取り消しとなったあと、東宝へも契約破棄を申し入れ、この問題は白紙還元となった。この前後、二度に亘って三国連太郎は消息を絶った。東宝はあきらめなかった。とうとう彼の身柄を確保し、三月十三日に『戦国無頼』の撮影に参加させた。松竹は(昭和27年)三月十九日三国連太郎を正式に解雇した。


 ということだが、この前後、消息を絶った三國を巡って東宝は松竹が三國を隠したと疑い、松竹は東宝がどこかに匿っているとにらんで、密かに各地を探し回った。そして道江らは箱根に三國らしき男がいるのを突き止める。

そして三日目、三国連太郎らしき風体の男が、箱根湯本温泉の一乃湯という旅館に居るらしい、との情報が入ってきた。…(略)…。どうも向こうは松竹のそれらしい護衛がついていて、迂かつに手出しができぬ。仕方がないから、こちらも三国だとハッキリ判るまで見張っていることにしようと決まって、一乃湯旅館の真向かいの環水楼の二階に陣取った。…(略)…。
 ……田中友幸プロデューサーを先頭に、忠臣蔵の討ち入りさながら、表口の玄関と裏口の勝手側の二手に分かれて、一乃湯へと乗り込んだ。
 目指す二階の座敷の障子を開けるときは、敵の用心棒と一戦交えるのかと、捕物の本番並みに緊張した。…(略)…。
 なんのことはない三国連太郎ひとりが、本を読みながらのんびりと寝込んでいるばかりだった。護衛のひとっこ一人もいない。拍子ぬけしたのは、こっちであった。
「どうしたんですか、皆さん、おそろいで」
 三国はきょとんとした顔で、ケロリとした調子で言った。
 結局、三国は東宝、松竹両社の間に入って、どうしてよいか判らなくなってしまい、ひとり飄然と旅に出てしまったのであった。
       (以上、『昭和芸能秘録 東宝宣伝マンの歩んだ道』道江達夫、中公文庫)
 

 〝どうしたんですか、皆さん、おそろいで〟もないもんだが、ところがこんな騒動の末に東宝入りしたにも拘わらず、俳優の菅井一郎が初監督する日活映画 『傷だらけの青春』 (昭和29=1954年)のオファーを受けるとそれに出るといってきかず、結局、東宝を出て日活へ。その後、日活もおん出てフリー宣言、当時盛んだった独立プロの世界に飛び込んでいく(戦後のレッドパージ〔共産主義者追放キャンペーン〕によって、メジャーの映画会社を追放された左翼的な映画監督やスタッフが独自にプロダクションを立ち上げ、映画を自主製作・公開する運動が、当時、盛んだった)。

 ここで三國は今井正、山本薩夫、今村昌平、吉村公三郎など気骨ある映画人と出会い、フリーの立場で出た東映では深作欣二、佐藤純彌ら、松竹系で大島渚、小林正樹、さらにここに日活時代すでにコラボしていた内田吐夢や 市川崑等の作品にも顔を出して、映画各社で活躍することになる。放送を始めたテレビにいち早く出演したのも三國であった。

 ジャズ野郎が〝なんて人だろう〟と嘆息した、そのワケはもうお判りでしょう。
 つまりこの五社協定の厳しい時代に、映画会社を勝手に移るという事を何度もしでかして、無事に済んだどころか、その行く先々で出た作品で独特の濃厚&濃密(クセがありすぎるとも、クサイとも揶揄されたが)の演技と存在感を示して名を挙げ、芸能界を干されもせずに生き延びた、その芸界渡りの凄さ、というか、居直りというか、居座り、というか、その姿勢に驚いてしまったのである。
 今でも、事務所に所属するタレントが、勝手に事務所を変えたり、事務所を通さないで仕事をすれば、あっさり干されて、それっきりである(先日のオセロ中島の場合しかり)。今よりも、当時の映画業界の方が、その掟を破った時のペナルティーは重いはずだと思うのだが、映画会社に楯突くこと複数回、それでもやはりメジャーの映画に出た(出られた)、ということは、もう三國連太郎がその演技力で映画監督や製作者に「アイツを是非、使いたい」と思わせたに相違ないからである。それだけの演技力と個性があった、という事になる。 〔続く〕







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緊急寄稿 三國連太郎 <後篇>

◆ 三國を許した木下惠介の寛容さ

 その大胆不敵とも傲岸不遜とも思える役者としての態度に圧倒されるとともに、ジャズ野郎は三國のそういった役者魂を知れば知るほど、ある事が気にかかっていた。つまり、三國と木下惠介監督との関係である。
 三國は、木下監督の大抜擢で映画&俳優デビューを飾ったわけであり、その映画『善魔』(昭和26=1951年)では大スターの森雅之と淡島千景を従えて堂々の主役である。木下監督に、もう、これ以上ないというほどの晴れがましい映画人生のスタートを切らせてもらった恩を忘れて、三國は東宝へ走ったのだ。それを聞いた木下監督は激怒した、とも言われているが、普通であれば、こんなことをした後は木下作品はおろか、松竹の映画には出演できないはずである。

 ところが三國は、松竹大船を飛び出してからたった7年目にして 『欲』 (昭和33=1958年、五所平之助監督)で松竹(京都)の作品に移籍騒動後初出演し、その翌年にはもう木下作品の 『今日もまたかくてありなん』 (昭和34年・松竹大船)に出ているのだ! この時、木下恵介は三國にどういう具合に応対したのか? 『三國連太郎の「あなたがいたから」』(主婦と生活社) にこうある。

 一九五一年(昭和26年)に『カルメン故郷に帰る』を発表したあと、松竹は木下監督に八ヶ月のパリ遊学というご褒美をあたえた。…(略)…。
 東宝への移籍騒動はその間の出来事だったから、三國さんは木下さんに断りなく松竹を辞めたことになる。
 しばらく後のこと、三國さんは久しぶりに大船撮影所を訪れた。食堂で行き会ったのは、木下監督。向こうから寄って来ると、三國さんにこう言った。
「わかってんのよ」
 その短い言葉だけで、木下監督の言わんとすることが三國さんには理解できたという。
「『仕事を選択して、いろんな監督と一緒にやるのは、良いことだよ』。それが『わかってんのよ』という短い言葉に籠められた意味でした」
…(略)…。
 ところがあんなに迷惑をかけて、何も言わずに松竹を辞めたのに、その後、僕のところへ電話をかけてきたり、銀座へ出てくると『一緒にご飯を食べよう』って声を掛けてくれたりしてね。会ってもニコニコして、『元気?』なんて言うだけ。自分が迷惑を被ったなんてこと、顔色にも出さなかったですね」


 木下監督は自分を裏切った形の三國を責めずに許し、それどころかその後も食事をしたりして、その交流は木下の死まで続いた。という。〝わかってんのよ〟とその語尾がオネエ(言葉)なのは、“知る人ぞ知る”だから言ってしまうが、木下監督はゲイなのである。木下は助監督を育て上げて一流の監督にした名伯楽であるが、その門下生たる大船の助監督たちはみな育ちのいいハンサム・ボーイであった(小林正樹川頭義郎松山善三山田太一ら)。イイ男を侍らせておくのが好きな木下監督だから、自分を裏切った三國を許した裏には彼に〝気があった〟のかも、などと勘ぐらないでもないが、それにしても、
〝わかってんのよ〟という一言で、すべてを水に流した木下監督という人は凄い人である。






 以前、黒澤監督について書いた3月13日付【黒澤明 『トラ・トラ・トラ!』事件の真相 その22 ◆繰り返された青柳家の大罪 <後篇>】で、新東宝時代に 高峰秀子 が悪徳プロデューサー(兼監督の青柳信雄)にギャラをピンハネされた上、勝手に木下作品『破れ太鼓』(昭和24=1949年)に出ることにされていた、という逸話を紹介したが、この時、高峰は木下と直接会って映画に出られない理由を縷々説明した--

 翌日、木下恵介と私は銀座の花馬車というレストランで会った。初対面の挨拶もそこそこに、私は無我夢中で「破れ太鼓」の一件を全部ぶちまけた。呆れたような顔をして聞いていた彼は、まるで他人ごとのようにケロリと言い放った。
「そんなケチのついた仕事なんかやめちゃいなさい。気持ちが悪いじゃありませんか」
 イヤ味のひとつも言われるだろう、と覚悟していた私はキョトンとして彼の顔をみつめた。この一言で、間違いなく事件の解決はついたようである。しかし、このケチのついたいざこざのために、優秀な木下監督との縁もまたおしまいになるだろう、と思うと残念だった。その私に、彼はニッコリと笑いかけた。
「話はよく分かりました。この次はあなたのために脚本を書きます。そのときは僕が直接電話をします。脚本が気に入ったら出て下さい」         (『私の渡世日記・下巻』高峰秀子、文春文庫)


 〝そんなケチのついた仕事なんかやめちゃいなさい〟とは自分の作品には出なくてイイ、という意味である。そんな馬鹿な! 彼だっておそらくは高峰を『破れ太鼓』に出したかったに違いない。それなのに高峰の心情をおもんばかって、自作に出るな、というなんて。鬼監督の溝口健二や黒澤明じゃ考えられない話だ。木下恵介はこんなに優しいハートの持ち主であった。
 しかも嬉しいことに、木下は 〝この次はあなたのために脚本を書きます〟 という約束通り、高峰のために 『カルメン故郷に帰る』 (昭和26=1951年)のシナリオを書き、監督自ら高峰に電話をかけて出演オファーをした。高峰秀子はこの後、新東宝を辞めてフリーになるが、木下作品には以後ずっと出続けた。そこにはこの時の木下監督に対する感謝の気持ちがあったに違いない。

 三國連太郎は自由で気ままで破天荒、そして〝演じること〟に一途な俳優人生を全うしたが、それが出来たのは彼の性格や人柄のせいもあろうが、映画界に木下惠介という名伯楽がいたおかげでもある。三國さんと木下監督の二人に・・・合掌。     〔完〕

                     *****

※追記 その木下惠介監督の若き日を描いた映画 『はじまりのみち』 (監督・原恵一)が6月1日に公開されます。
 「戦後の日本映画史を動かした青年監督の人生を変えた<運命の数日間>とは…?
  木下惠介の原点となった母との絆を、実話を元に描く愛情物語」
  原監督は木下監督のファンで念願の映画化とのこと、乞うご期待!

 ■ 出典及び参考文献 ■
● 『日本映画映画全集・男優篇』 キネマ旬報社
● 『昭和芸能秘録 東宝宣伝マンの歩んだ道』 道江達夫、中公文庫
● 『東宝行進曲 私の撮影所宣伝部50年』 斎藤忠夫、平凡社
● 『生きざま死にざま 三國連太郎 』 三國連太郎、KKロングセラーズ
● 『NHK「こころの遺伝子」ベストセレクション6 三國連太郎の「あなたがいたから」』 NHK「こころの遺伝子」制作班・編集、主婦と生活社
● 『私の渡世日記・下巻』 高峰秀子、文春文庫


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新作プレビュー  シュワルツェネッガーの 『ラストスタンド』

◆ スクリーンに 「シュワッ」 と〝I'll be back〟!

 カリフォルニア州知事への就任、そして退任、その後チョロチョロとゲストで顔を見せていたアーノルド・シュワルツェネッガーの久々の本格主演作。しかもド派手なアクションと聞いたから、こいつは見に行かなきゃ、と気負ったが、監督があのどーしよーもない凡作『グッド・バッド・ウィアード』(2008年)のキム・ジウンだってことを先に知ってれば、試写を見に行くことはなかったネ。
 イマドキのアクションで一番ダメなタイプ--「ただスピーディーなだけで、起承転結も、伏線も演出の旨味も何もない、CG駆使してぇのド派手で、ドやかましく、ドあつかましい」--だったから、この人の映画はもう見ないと心に決めていたのだが、なあーんだ、キムさん、チャンと撮れるじゃないですか。出来るならちゃんとやって下さい、と言いたくなるほどドラマ部分は落ちついてキッチリ撮り、アクションでは馬力を効かせてブイブイやってくれている。こんな具合に、緩急を付けてくれればいいのです。
 しかもコレ、3Dじゃない。アー、これまた最高ですね。3D眼鏡が煩わしく、PCのブルーライトで目をやられているジャズ野郎としては、ノーマルな2D映画が一番よろしい。

 で、いきなり判っちゃう。何が判るかっていうと・・・シュワちゃんが田舎の保安官で凶悪な脱獄犯一味を迎え撃つのだが、シュワちゃんの仲間ってのが超ショボイ。三下みたいな若い男女の助手と武器オタクの馬鹿とメキシコ(ヒスパニック)系のオヤジ、そして保安官事務所のブタ箱にブチ込まれた女助手の元カレのみ(味方が少人数のたった5人!)・・・とくりゃ、アレですよ。この設定でこれが何の映画か判らないなら、もう一度、小学校に入り直してください。ハワード・ホークス監督 『リオ・ブラボー』 (1959年)でございます。まぁ、もう、臆面もなくマネでございます、これぞハリウッド映画でございます!
 もちろん、『リオ・ブラボー』の設定は下敷きで、ストーリーは現代風にアレンジ。ド胆抜く脱走シーンにカーチェイス、そんでもって銃撃戦に殴り合い、と趣向はもう「ラーメン二郎」ばりのコッテリなてんこ盛り! その一つ一つの描写、例えば殴り合いならパンチの1発1発が重いのがいい。ガツンときます、見てるコッチに。

 それにしても、シュワちゃん、よろしいな。いかにも頼りない年少の助手達を叱咤激励するばかりでなく、贅肉とお年齢(とし)でもってますます小回りがきかなくなったボディを駆使して大熱演、ってなぁ、泣けてくる。
 助手達が敵に囲まれてアワヤ! てな時に、車で乗り付けて、ライフル構えてズドンとやるポーズなんか堂に入ったもんだ。やっぱり風格というか、頼れる男って感じがする。映画休養前より一層そうした重量感がある。
 この映画を見る前に、マスコミ用のプレスシーンを眺めていて、「そういえば、シュワルツェネッガーって西部劇に出てないな」なんて思ってましたが、この映画はまさに西部劇の現代版。シュワちゃんはまさに保安官で登場するわけで、その姿は往年の チャールトン・ヘストン のようであり、ライフルをぶっ放す姿は ジョン・ウェイン のようでもあり。 コレ、お世辞じゃないです、本当によぎりました、そのイメージが。

 かくてシュワルツェネッガーはスクリーンに〝I'll be back〟した。
 西部劇の王ジョン・ウェインは 『ラスト・シューティスト』 (1976年)でスクリーンを去った(この3年後、胃癌で死亡。これが遺作となった)が、シュワちゃんは『ラストスタンド』でスクリーンに戻ってきた。
 喜ばしいことである。

        ■  4月27日ロードショー   配給:松竹ポニーキャニオン ■


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『 ラストシーンの余韻 』 発売中!
映画ライター・高村英次、初の書き下ろし長編 『 ラストシーンの余韻 酒乱と失態、女難と頑迷、監督・溝口健二の狂おしき人生 』

高村英次

Author:高村英次
電子書籍版はアマゾン Kindleストア 及び 楽天ブックスから、紙の書籍版は製本直送.comより発売。直近の各コラムの末尾にある発売告知から販売サイトに遷移、またはポップアップ画面が出ますので、そこで購入できます。 

< プロフィール >
血液型:A型
趣味:サイクリング&ウォーキング&クッキング、デジカメでの写真・動画撮影
好きな場所:札幌ドーム、中島公園、中央図書館、豊平川
好物:コーヒー、ジンギスカン、スープカレー、ラーメン、「ロイズ」のソフトクリーム、「シャトレーゼ」のアイスバー・ピュルテ(塩キャラメル味)、びっくりドンキー、はま寿司、セイコーマート

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