新作プレビュー  『 スティーブ・ジョブズ 』 (2)

◆ ひとりぼっちのIT長者、傷だらけの青春を生きる

 映画のジョブズは、確かにパーソナル・コンピュータに〝目を付けて〟〝売り出した〟のだが、テレビをモニターとして利用し、それにキーボードを組み合わせる、という試作機を開発したのは友人のウォズアックであり、ジョブズはそのアイデアを〝売り歩いた〟に過ぎない。
 だから、他人のアイデアを横取りして商売し、成功しちゃった奴、というふうに映画では描かれている。
 「これじゃまるで山師ジャン」とは誰しもが思うところだし、アップル社を設立してからはその我流(ワンマンな手法)にさら拍車がかかる。理想のIT商品を作るためには商売を度外視し、経営陣を無視し、法外な予算をつぎ込み、人の意見にも耳を貸さす、友人達を遠ざける・・・まさにディクテーター、暴君ですな。

 そんなジョブズの生き方を見ていたら、ジャン・ギャバン主演のフランス映画 『我等の仲間』(1936年、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督) が脳裏をよぎりました。楽しく好き勝手にやっていた若い頃の悪童グループの面々が、年齢を重ねるにつれて私欲や自己保身にかられて仲間を裏切り、みな散り散りバラバラになっていく・・・シンプルなストーリーの中に、〝仲間たち〟各人の打算、惰弱、愛憎などさまざまな生き様が描かれて、人情の機微に触れている。古いフランス映画ってのは、なんというか、含蓄がありますな。
 昭和の名シナリオ・ライター 笠原和夫 は、この映画を参考にしてあの 『仁義なき戦い』(1972年・東映、深作欣二監督) を書いたってわけで、確かにどっちも切ったり切られたり(裏切ったり、裏切られたり)、他人を出し抜く話ではあります。
 世話になった友人の寝首をかき、恩人でも利用価値なしと見ればクビにして、その時、役に立つ者だけを登用する・・・ジョブズのサクセス・ストーリーを〝傷らだけ〟と書いたのは、こういうところからで、切り捨てられるのが苦労を共にした〝かつての友〟だから、これはある意味、血まみれの青春映画 とも申せましょう。

 有益な楽しいモノを発明する輩は、いつの世も、夢や希望にかぶれた、青臭くて少々スプーキー(変人)な青年であり、ウィンドウズやSNS(facebook、Twitter)、スマートフォンはその所産である。スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツ、マーク・ザッカーバーグらは新時代を導いた先兵であり、革命児と呼んでもいい。
 だが、彼らの行く手に待っているのが、綻びた人間関係と絆の喪失だとしたら、なんだか哀しい。それこそが、現代(21世紀)ってことかもしれませんが・・・。

■ 11月1日より東京・TOHOシネマズ日劇、ユナイテッド・シネマ札幌ほか全国ロードショー 
                                  配給:ギャガ GAGA★ ■



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  『西鶴一代女』『雨月物語』などの名作を放った溝口健二の人生を、
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名作・迷作探訪 〔邦画篇〕  メガヒット映画の功罪 <その8>

◆ 『籠の鳥』  当時の映画界を引っかき回した立石駒吉 <前篇>

 長らくご無沙汰しました。名作・迷作探訪 〔邦画篇〕の『籠の鳥』の続き、 【メガヒット映画の功罪】 を再開します。話の内容を忘れてしまった方は、 10月24日アップの【~ <その7> ◆『籠の鳥』 山本嘉次郎が先に作ってた?!】 をご参照下さい。

                       *****

 そういったわけで『籠の鳥』は本家・模倣作ともヒットとなり、それまでジリ貧生活にあえいでいた 山本嘉次郎 に背広を新調させるなど大いに儲けさせた。彼にとって『籠の鳥』は〝時の氏神〟であった。だが、コレに関わった人がすべて幸せになったか、というと、さに非ずである。

 まず沢蘭子主演の、つまりブームを巻き起こした本家『籠の鳥』を製作した 帝国キネマ だが、これが分裂してしまう。大正14年(1925)に始まった 帝キネの内紛劇 は、撮影所従業員の待遇問題に端を発したと言われるが、その遠因はこの『籠の鳥』の大ヒットにあった。

柴田  これには黒竜会の親玉だった立石駒吉さんが関わっています。帝キネは先の『籠の鳥』の大ヒットで当時の金で三十万円儲けたのですが(*1)、ちょうどその時何か新しいことをやりたいということで帝キネに入ってきた立石さんが重役でいたのです。そしてその新しいことというのが、各社から俳優、カメラマン、監督を引きぬくことだったのです。ある日、立石さんが私を呼んで「松竹では誰が好きか」と言うので、「五月信子が好きだ」となんの気なしに答えたら、「じゃあ」と言って本人を連れてきましたが、あれには驚きましたね。この引きぬきでマキノ映画などはガタガタになります。
 …(略)…。
 ところが、一番の問題は待遇が違ったことです。後から入ってきた人が非常に良いのに比べて、前からの人間は少しも〔ギャラが〕上がらないのです。せめて一緒になればよいのですが、格差が開いたままでしょう。それが第一の原因です。で、我々は自分たちで退職して、蘆屋派、アシヤ映画ということになります。
- この頃、阪東妻三郎が帝キネへいくことになっていましたが……。
柴田  阪妻は来たけれど一本も撮らないで辞めてしまったのです。
- それはどうして?
柴田  やっぱり面白くなかったのでしょう。阪妻だけですね、一本も撮らなかったのは。…(略)。 
          (柴田勝『聞き書き キネマの青春』岩本憲児/佐伯知紀、リブロポート)     
                           ※〔〕内、及び(*1)はジャズ野郎註。


 この後、帝キネは、アシヤ映画(蘆屋映画、芦屋映画の表記もアリ)、小坂映画、東邦映画と3つに分裂し、さまざまな紆余曲折を経ることになるのだが、立石駒吉という人は、そんな具合に映画界を操って、引っかき回すだけ回した希代の山師、トリックスターであった。

*1 「30万円儲けた」 柴田カメラマンは『籠の鳥』の興行収入を30万円といっているが、正確には35万円。10月22日付けの【名作・迷作探訪 〔邦画篇〕 メガヒット映画の功罪 <その5>】を参照のこと。


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名作・迷作探訪 〔邦画篇〕  メガヒット映画の功罪 <その9>

◆ 『籠の鳥』  映画界を引っかき回した立石駒吉 <中篇>

 立石駒吉 は生粋の映画人ではなく、企業乗っ取りや仕手相場などに顔を出す右翼筋の総会屋みたいな人で、この時期、好況を誇っていた映画界に首をつっこんではいろいろと良からぬ工作を行った。帝キネに潜り込んだ立石は、柴田勝が言うように『籠の鳥』で儲けた金で、他社の人気スターを大量に引き抜いた。引き抜かれた側の松竹・城戸四郎(当時、蒲田撮影所所長)はこう書いている。

 それは蒲田のスターとしてヴァンプ役で賣つていた五月信子をはじめ、正邦宏、藤間林太郎〔藤田まことの父〕、それに監督の小澤得二等が五六人そろつて帝キネという会社に引抜かれたからだ。…(略)…。又 正邦宏というのは人がいい。相済みませんけれどもということで、姉に通して頼みに来た。僕の方は丸つきり知らなかったので、驚いて聞いてみると、立石駒吉が帝キネの金を使つて〔引き抜きを〕やつていることがわかった。
 …(略)…
 立石という男は、顔中髯を生やした刑事タイプのボスで、釆女町の〔松竹の東京〕本社にいた頃よく逢ったことがある。…(略)…。
   (『日本映画傳 映画製作者の記録』城戸四郎、文藝春秋新社) ※〔〕内、ジャズ野郎註。


 そして、引き抜きの一方で、アメリカ映画の排斥運動を仕掛けるのであるが、なんとコヤツはスター引き抜かれた側の被害者である城戸の前にヌケヌケと現れて、いけしゃあしゃあと「今こそアメリカ映画をボイコットしましょう!」てな調子で協力(共闘)を唱えるのであった。       〔続く〕


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名作・迷作探訪 〔邦画篇〕  メガヒット映画の功罪 <その10>

◆ 『籠の鳥』  映画界を引っかき回した立石駒吉 <後篇>

 立石は自身がスター引き抜き工作を主導していた同じ年(大正14=1925年)、日活の常務だった根岸耕一とともに松竹・城戸撮影所長の許を訪れて、アメリカで排日運動の報復として日本でもアメリカ映画の締め出しをやろう、と持ちかけた。この「アメリカ映画(米畫)排斥運動」とは、

 大正十四年の夏、日本映画界に一つの動きが起った。アメリカ映画ボイコット運動である。
 これは、アメリカのカリフォルニア州が制定した排日的な移民法への報復措置だとも言われた。このボイコット運動の主唱者は日活の橫田永之助で、日本円の国外流出防止を旗印にしていた。
                  (『マキノ雅広 映画渡世 天の巻』マキノ雅広、ちくま文庫)


 というもので、この時、ユナイテッド・アーチストからアメリカ映画を買いつけていたマキノ映画の総帥・ マキノ省三 はこの運動に反対した(マキノでは手持ちの配給網〔上映館〕で自社製作作品と西洋物を組んで上映していた)。すると、アメリカ映画排斥に反対したマキノもついでに排斥しちゃえ、とばかり、マキノ映画も追放の俎上にのせられるのであるが、つまりはコレがもともとの目的であったのだ。
 立石らが中心となって起こした〝アメリカ映画ボイコット運動〟というのはアメリカ映画とともに、目障りなマキノ映画も排斥しようとした陰謀--松竹・日活・帝キネ3社よってたかっての〝弱いモノ虐め〟--だったわけである。まったく、凄い時代である。

 立石・根岸の提案に乗って城戸も連名して「米畫排斥」の声明を出すのだが、これがなんとすぐ崩壊。
 何故かというと、いきなりアメリカ映画の上映を止めよう、と号令しても各映画会社には上映の番組予定というものがあって、アメリカ映画を上映しないとしてそのスケジュールを変えるにしても、その差し替え番組(上映作品)をすぐに用意できないわけである。

 松竹、帝キネ、日活は三社協定によって、マキノ映画と外国映画の排斥運動を強化したが、大正十五年三月には、東亜〔東亜シネマ〕とマキノが提携し、四社協定が成立した。マキノはプロダクション映画と外国映画をボイコットしようとした三社協定を打破したのである。
                              (前掲書)※〔〕内、ジャズ野郎註。

 
 そういうわけで立石駒吉はスターの大量引き抜きには成功したものの、アメリカ映画ボイコット運動は頓挫し、引き抜いたスター&スタッフと在来の従業員の待遇に格差を付けたことから帝国キネマを分裂に追いやり、自身は分裂した一派の 東邦映画 (東宝ではない)の親玉に収まる。こう見ていくと、まるでどこぞの政治家さんのような〝壊し屋〟みたいに思われるから、勢い--
〝もともと映画作品や映画界(興行界)を金のなる木としか考えていない男なんだろー〟
 などと憎まれ口を叩かれてしまいそうだが、以下のコメントを読むとそうでもなさそうである。

柴田  …(略)… 〔立石が松竹から引き抜いた〕正邦宏とか五月信子は立石駒吉派の東邦映画でいい映画を撮っています。とくに五月信子の『四谷怪談』(一九二五年、監督・山上紀夫)は良かったですね。これが東邦映画の最後の作品で、結局四カ月ほどで解散になり彼らは東京へ引きあげました。
-  柴田さんは、立石駒吉一派の映画は高級志向であったと書いておられますが……
柴田  帝キネの映画はもともとわかりやすい映画なのですが、高尚すぎて常設館では受けないのです。…(略)…。    (『聞書き キネマの青春』岩本憲児/佐伯知紀・編著、リブロポート)


 高尚すぎて映画館(こや)では受けない--立石のような〝こんな男〟がそんな映画を作っていたなんて・・・。城戸四郎の言う〝顔中髯を生やした刑事タイプのボス〟立石駒吉のことは、もうちょっと調べてみる必要がありそうである。           〔一応の完〕


■ 出典及び参考文献 ■
● 『聞書き キネマの青春』 岩本憲児/佐伯知紀・編著、リブロポート
● 『実録 日本映画の誕生』 平井輝章、フィルムアート社
● 『人物・日本映画史1』 岸松雄、ダヴィッド社
● 『人物・松竹映画史 蒲田の時代』 升本喜年、平凡社
● 『日本映画傳 映画製作者の記録』 城戸四郎、文藝春秋新社
● 『日本映画を創った男 城戸四郎伝』 小林久三、新人物往来社
● 『同時代ライブラリー 京の路地裏』 吉村公三郎、岩波文庫
● 『熱眼熱手の男 私説・映画監督伊藤大輔の青春』 磯田啓二、日本図書刊行会
● 『映画読本 伊藤大輔』 フィルムアート社
● 『時代劇映画の詩と真実』伊藤大輔著、加藤泰編、キネマ旬報社
● 『マキノ雅広 映画渡世 天の巻』マキノ雅広、ちくま文庫
● 『カツドウヤ水路』 山本嘉次郎、筑摩書房
● 『伝記叢書301 カツドウヤ自他伝(伝記・山本嘉次郎)』 山本嘉次郎、大空社
● 『森一生 映画旅』 森一生/山田宏一・山根貞男、ワイズ出版
● 『聞書アラカン一代 鞍馬天狗のおじさんは』 竹中労、白川書院
● 『日本映画発達史』 全5巻、 田中純一郎、中公文庫 
                       ***
○ウェブ:「みなとQ」内の「わが町人物誌」 http://minato-q.jp/yomuyomu/jinbutsu/top.html


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巨匠のムチャブリ - 清水宏 恐るべき子供〝天使と悪魔〟 <その1>

 本日から「巨匠のムチャブリ」シリーズ第4弾としまして、松竹黎明期から戦中・戦後を通じて活躍した 清水宏 監督を採り上げます。
 清水監督については、今年 〔 2013 〕 、東京・京橋の国立フィルムセンターで「生誕110年 映画監督 清水宏」と題して特集上映(6月5日~8月7日)がありましたから、それを観に行かれて、このクソデブ監督・・・いや、小太りのトノサマガエル・・・いやいや、抒情(旅情)派のナチュラリストとも言うべき作風に親しまれたファンも多いか、と思います。
 今、期せずして口走ってしまった「クソデブ」「トノサマ」「抒情(旅情)派」は、すべて清水監督の偽らざる特徴でございまして、特に前者の2項目(!)にご注目下さい。
 (おそらく)来年2014年まで続くこのコラムでは、この前者の2項目について<重点的>に扱っていく所存でおります。

 ではまた駄文をば、しばしご甘受下さいませ・・・。

                      *****

◆ 人間ってあんなにエバれるもんかなあ

 野村芳亭島津保次郎と続いた 〝松竹の3悪人〟 も最後の一人と相成りましたが、このたび採り上げる、清水宏は、往年の映画監督にまつわる一般的な悪いイメージ--

〝傲慢で癇癪持ちで色悪〟

 --をもっともストレートに体現した典型的な監督だといえます。
 前述の芳亭将軍も島津オヤジもド外れて尊大で暴力的な人物だったが、清水宏の場合は尊大、暴力とも前記の二人に勝るとも劣らないばかりか、陰湿さの点において野村、島津を数倍するものすごさ。

 戦前、松竹大船撮影所で清水組に助監督として参加した大庭秀雄によれば、

 おっかない監督でねえ、あんな監督はホントにいないね。まさに映画監督を絵に描いたみたいな。人間ってあんなにエバれるもんかなあと思うぐらいだった(笑)。
 あんまりエバってたんで追放食っちゃったんだ。
(大庭秀雄 『人は大切なことも忘れてしまうから - 松竹大船撮影所物語』 山田太一・斎藤正夫・田中康義・宮川昭司・吉田剛・渡辺浩〔ゆたか〕、マガジンハウス)


ということになる。態度があまりに横暴で目に余ったがゆえに大船撮影所から追い出されてしまった、という大庭監督のコメントは真実で、そのことは詳述するが、そもそも清水の横暴というのは、子供じみた〝無邪気な凶暴さ〟であって、いわば悪ガキの、いやガキ大将の腕白な悪ふざけであったが、いったん怒ると手がつけられなかったそうです。   〔続く〕


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巨匠のムチャブリ - 清水宏 恐るべき子供〝天使と悪魔〟 <その2>

◆ 一見すれば善人、付き合えば悪童

 悪ガキが大人になった、という形容がピッタリするのが清水宏である。

 見かけはまさに肥満体で丸顔の童顔であり、悪ガキどころか、一見すると邪気のない善い人のように見える。しかし、この外見こそがクセモノ(食わせモノ)である。

 かつて 三島雅夫 という映画にもよく顔を出した新劇の名脇役がいたが、彼を見ると清水宏を思い出す。三島雅夫は築地小劇場出(左翼)で、当時、演劇をやっていた人たち同様、戦時中には当局の厳しい取り締まりを受けてブタ箱に入るなどの辛酸を嘗めている。
 これは余談だが--戦後、小津安二郎監督が新東宝で 『 宗方姉妹 』 (昭和25=1950年)を撮った際、小津監督が三島を起用したいと言ったら、当時の新東宝社長(佐生正二郎)は「ウチは赤を嫌って出来た会社だから…」といって三島の起用に難色を示したといわれる。
 当時は東宝大争議の余韻さめやらぬ時期であり、新東宝は過激な組合(東宝の第一組合)を嫌って分派してできた東宝系の会社だっただけに、左翼臭の強い演劇人の出演は敬遠された。
 とはいえ、三島雅夫はスクリーン上で別に赤旗を振ったりするような人ではなく、今井正ら左翼系監督の作品や独立プロの作品にもよく出たが、政治的なメッセージを全面に出して云々というような事はなかった。
 これはほかの新劇俳優たちもそうである。三島雅夫の代表作としては、今村昌平監督の 『豚と軍艦』 (昭和36=1961年)の暗黒街を仕切るボスや、川島雄三監督の 『雁の寺』 (昭和37=1962年)などの好色で打算的な和尚役が有名だが、久松静児監督の 『警察日記』 (昭和30=1955年)の田舎交番の温厚なお巡りさんのような、童顔のイメージを生かした善人役も多い。

 清水宏は、<外見的には> そんな三島雅夫に似ているのだが、<内面的> には似ても似つかぬ男であり、清水は三島とは正反対な人物 -ガキ大将、悪童、暴君- なのである。

 その陰惨極まるスタジオ内外での〝悪童ぶり〟をつらつら書き連ねていくとしましょう。  〔続く〕


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巨匠のムチャブリ - 清水宏 恐るべき子供〝天使と悪魔〟 <その3>

◆ 銅像--働かない助監督 <デブ>  〔前編〕  

 清水宏は明治36年(1903)生まれ、あの小津安二郎と同い年である。
 清水が松竹の蒲田撮影所に入ったのは松竹が映画製作に乗り出してから2年後の大正11年(1922年)、彼が19歳の時。小津と年齢は同じだが、入社は小津安二郎よりも1年早い(小津が蒲田に入社したのは関東大震災が起きる直前の大正12年6月)。映画界も他の芸界同様、その世界に入った時期が早く年季の長い者ほど重用され、先輩にはかしづかなければならない。清水宏にとって小津は後輩になるわけだから、さぞ天下の小津安二郎も助監督時代にはイジメられたであろうと考えてしまうが、実際はまったく逆で二人は死ぬまで 大の仲良し であった。

 悪童の清水と人徳者の小津とがなぜ気が合ったのか。
 もっと言えば、ここに京都の 山中貞雄溝口健二 も加わって東京~京都を行き来する一大仲良しサークル(友好関係)が築かれていったのだが、それはどうしてか? その詳細は後に述べるとしよう。

 知人のツテを頼って蒲田に入社した清水は、池田義信監督の組に就いた。池田組には先輩の助監督に 成瀬巳喜男(*1) がいたが、しばらくすると清水は成瀬に向かって--

             「アンタは働きすぎる」

 と苦言を呈した。先輩の助監督にそんな不遜な口をきくところを見ると、清水のヤンチャ心はすでに蠢動していたようである。

 一方、成瀬に〝働きすぎる〟とのたまったご当人はというと、現場でまったく働かなかった。当時、助監督は撮影所内を歩くことはなく、常に走っていたといわれるほど業務に追われていたもので、池田義信監督は人気の栗島すみ子作品を手掛けて常に撮入状態だったと思われるから、その助監督達は毎日、汗水流してかけずり回っていたと思われるが、清水はちっとも働かない。働かないどころか、その巨体をステージにデンと構えて動こうとしなかった。
 あまりにも動かないので、ついに 〝銅像〟 という有り難くない渾名で呼ばれるようになる。それでも本人はどこ吹く風であった。     〔続く〕

*1「成瀬巳喜男の蒲田入社」  成瀬の蒲田撮影所入社は大正9年(1920)というから、松竹が映画製作を初めた年であり、最初は小道具係に廻された。清水が蒲田に入社した大正11年(1922)に助監督になり、その清水とともに池田義信監督に就く。清水と成瀬は助監督歴としてはほぼ同期といっていいが、蒲田撮影所への入社では成瀬が先であるから、清水にとって成瀬は先輩に当たる。


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巨匠のムチャブリ - 清水宏 恐るべき子供〝天使と悪魔〟 <その4>

◆ 銅像--働かない助監督 <デブ>  〔後編〕 

 この〝銅像・清水〟が本物の〝銅像〟に逆らった。
 本物の銅像とは生身の人間--この当時(大正11~13年)、蒲田撮影の所長も兼ねていた野村芳亭監督のことである。まだこの時は野村芳亭の銅像は建っていなかったが、死後(昭和9=1934年)に松竹キネマに対する功績を認められて、その胸像が大船撮影所の前庭に建てられている。
 〝銅像・清水〟は、後に本物の銅像が建つほどに偉大であった野村芳亭に反抗的な態度を示した。所内で顔を合わせても 挨拶をしなかった のだ。
 「挨拶が悪い」として芳亭将軍から名指しで怒られた。
 同じ頃、小津安二郎も朝夕の挨拶を芳亭にしなかったので叱責された(3月27日付【野村芳亭、知られざる巨人 <その9>】)。この二人はそんなところで気が合っていたのかもしれない。

 やがて大正12年(1923)9月1日、関東大震災が起こり、被害にあった蒲田撮影所が復興するまでの間、清水は野村芳亭の指揮のもと俳優やスタッフとともに京都の下加茂撮影所に移る。
 そして同年末に蒲田に戻るのだが、その翌年(大正13年)、清水にとって最大の僥倖が訪れる。清水を気に入り、彼の無理や横暴を大目に見てくれるパトロン的存在の〝大いなる庇護者〟城戸四郎が、松竹本社から蒲田撮影所に異動になってきていたのだった。   〔続く〕


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新作プレビュー  『 悪の法則 』  <前編>

◆ 出来心に忍び寄る、恐るべき〝悪夢の法則〟

 『エイリアン』(1979年)や『ブレードランナー』(1982年)といった映画史にのるようなエポック・メイキングな作品を残していて、『ブラックホーク・ダウン』(2001年)とか『ロビン・フッド』(2010年、ラッセル・クロウ版)といった大作もちょいちょい作るリドリー・スコットは、いわばハリウッド・メジャーにとっては使いやすい、頼れる、安定した早撮りの多作監督だけど、多作ゆえに時々「?」てな作品もある。
 今回の『悪の法則』・・・そのタイトルからして「?(大丈夫かな)」と危惧したが、不安は杞憂に終わりました。

             オモロイですやん! 

 いや、危惧したのには、もう一つ理由があって、この脚本(オリジナル脚本)を手がけたのが、『ノーカントリー』や『すべての美しい馬』『ザ・ロード』の原作者で、現代アメリカ文学の巨匠、コーマック・マッカーシーだって事。小説の方はよく知らんけど、まぁ、映画化されたのはどれも「?」でしたな。アカデミー賞獲ったからって、『ノーカントリー』(2007年)ってのはどこがどうオモロイのか、ジャズ野郎にはよく分かりません。
 確かに、ちょっと見、イモ兄ィなハビエル・バルデムのどこまでも追ってくる、しつこいしつこい無表情な殺し屋は怖かった・・・でも、なにやら哲学的な事をのたまう(とってつけたような)ラストを含めて、全体的にモヤモヤ~っとして、「大山鳴動して鼠一匹」みたいな尻すぼみ感が・・・。しかもその出てきた鼠ってのが、哲学的な独白(トミー・リー・ジョーンズ)だったんで、どうも・・・ねぇ。
 映画化された『ザ・ロード』(2006年)にしても、なんかインテリの描く暗鬱な近未来像(寓話)みたいな感じで、どうもノレなかったのですが、まー、今回はズバッと、バリッと、グサッと、悪の本質、を描ききってくれました。

 だから邦題は「悪の法則」じゃなく、「悪の原則」でも「悪の哲学」でもよかったような気がしますが、まぁ、そのタイトルの堅い語感をぶっ飛ばすような、

 ブラッディ(血まみれの)で、イモラリー(背徳的な)で、アトローシャス(暴虐に満ちた)な悪~~~~~~~~~~い、

イイ味が出てます。プロット(ストーリー)が命ですから、あまりバラセませんが、チョロッと内容をば。

「 舞台は〝愛と希望のない街〟--メキシコ。いや、〝愛〟も〝希望〟もあるのかもしれませんが、主人公の弁護士( マイケル・ファスベンダー )は、映画が始まって30分もしないうちにその2つを・・・ムニュムニュムニュ〔オフレコでございます〕。
 この弁護士、ハデな生活をしている金満実業家の友人ライナー( ハビエル・バルデム )の誘いに乗って、コヤツの手がけている裏稼業に手を貸すことになる。ライナーのやっている裏仕事ってのは、まぁ、ブツを扱う例のヤツ(ブツって言えば、分かりますよね)だが、これが弁護士もライナーも知らないところでとんでもない事になっていき、二人はもちろん、弁護士のフィアンセ・ローラ( ペネロベ・クルス )やライナーの情婦マルキナ( キャメロン・ディアス )らを巻き込んで、深刻な事態に発展していく・・・ 」


 粗筋をあまり詳しく書けない(オフレコ)のは、犯人捜し的な意味合いもあるからで、この他に ブラッド・ピット がヤバい組織とライナー&弁護士を繋ぐブローカー=仲介者、として登場してきますが、もちろん、コヤツも悪でございます。  〔続く〕

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  伊藤大輔・小津安二郎・黒澤明などのライバル監督&スタッフとの
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新作プレビュー  『 悪の法則 』  <後編>

◆ 一番の〝悪〟は・・・コレを見てニンマリするア・ナ・タ!

 犯罪映画もいろいろありますけど、この『悪の法則』で感心したのは、例えば事件の発端にあたる、ブツが盗まれるとか、その争奪戦での暗殺とか銃撃戦といったシーンは、第一の見せ場で普通は最初に描かれるものだが、それがないんですな。
 ないから、きっといつかは描いてくれるんだろう・・・と思ってましたが、最後までそれなしで進む! 本来なら、こういう事をしちゃ、オモロクならないんですが、そこんところがチョイと違う。その発端部分ってのは、実は弁護士やライナー、ブラピのブローカーなどが出て来るよりも前に、オープニングからずっと見せつけられていた、 〝ある物体(モノ)〟 だったのです。これを巡ってドンチャカ起こるわけ。

 で、その〝物体(モノ)〟っていうのは・・・もちろん、オフレコですわ、知りたかったら映画館へ行っておくんなはれ。

 そうですね、毎年作られてる犯罪映画を全部見ているわけではないんですが、こんな〝物体(モノ)にブツを隠す〟というその着眼の見事さ(というかエゲツなさ)は、もしかすると『マトリックス』(1999年)を作った ラナとアンディの兄弟監督ウォシャウスキー(*1) の初期の秀作 『バウンド』 (1996年)での現金の隠し場所以来じゃないですかね。
 純真な(?)ジャズ野郎などは、映画が始まって、ただボーッと見ていたけれど、途中で「エッ?! そうか、この中にあんのか!!!」って・・・もう声(ヘド)が出そうになりましたが、みなさん、どうご覧になるでしょうか?

 でも、この映画に登場する醜悪な人間達や展開するエゲツない事件の数々を見るに付け、〝この中に隠す〟というのは正解かもしれないな、と思いました。どいつもこいつも、この物体(モノ)と同じか、それ以上にダーティ(汚ッタネ)な奴らかもしれない。

 ダーティなモノや人間は出てくるし、キャメロン・ディアスのエロ過ぎるお馬鹿シーンはあるし、見所マン載で、結構、イッチャッテます。御年76才のリドリー・スコット監督にしちゃあ、上出来ジャンか! なんて思っていたら、脚本を書いたコーマック・マッカーシーはその監督を上をいく80歳だってんだから凄い。そんな高齢(おとし)で、こんなヒップでエロくてグロいクライム・スリラーを仕組むなんて・・・そのパワフルさに脱帽です。

 もう、ジジイなんて呼ばせないゼ、って感じですナ。

 片や、このお二人に比べれば、ジジイ歴で随分劣るジャズ野郎は、
「こういうテイストの犯罪映画って 『グリフターズ』 (1990年、スティーブン・フリアーズ監督)や 『ファイヤーワークス』 (1996年、マイケル・オブロヴィッツ監督)以来だなぁ」
てな感じで喜んでおりましたが(同種の作品に『氷の微笑』〔1992年〕てなポルノもありましたが・・・)、この両作はどちらも ジム・トンプソン 原作。トンプソンはあのペキンパー&マックィーンの 『ゲッタウェイ』 (1972年)の原作者。

 だからなのか、この『悪の法則』、どこかジム・トンプソンっぽい臭いがする。ねっとりした〝悪の華〟って匂いが・・・。その〝悪の華〟の甘くて痺れるような香りに鼻孔をくすぐられれば、思わずニンマリ。でもニンマリしたら(って誰もがニンマリすると思いますが)、貴方もコイツらと〝同罪〟ってことでっせ。心してご覧アレ!

       ■ 11月15日より全国ロードショー 配給:20世紀フォックス ■

*1「ウォシャウスキー兄弟」 そう、兄弟(監督)であったハズのこの二人、なんと兄のラナの方が性転換して女になった、とかでウォシャウスキー姉弟になってしまったらしい。うーむ、なんでだろう? とりあえず、そういう事ですから、ヨロシク!


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巨匠のムチャブリ - 清水宏 恐るべき子供〝天使と悪魔〟 <その5>

◆ 城戸のいる蒲田から、将軍さんと一緒に京都へ〝都落ち〟

 城戸四郎はアンチ野村派で、野村芳亭の作る新派悲劇的な湿っぽい映画〔お涙頂戴的な内容の作品〕を一掃して、生活感のある庶民的な作品を作ろうと考えており、その方針が 島津保次郎五所平之助 の手で具現化されて〝蒲田調〟を生み出していったことを先に述べましたが (4月6日地付【野村芳亭、知られざる巨人 <その17>】) 、この城戸が清水宏と意気投合してなにくれとなく彼を重用したのだ。

 城戸が蒲田に赴任すると、タイミングのいいことに〝柳さく子スキャンダル〟が起こって芳亭は蒲田を追われて京都へ都落ちさせられる (4月5日付【野村芳亭、知られざる巨人 <その16>】)

 蒲田は城戸の牙城となり、清水にはうるさい〝将軍さん(芳亭)〟がいなくなるわけだから、欣喜雀躍したことは想像に難くない。すでに清水はこの大正13年(1924)に監督デビューを果たしていた。だから、「いよいよ面白くなってきたゾ!」とほくそ笑んだ事だろう。

 ところが先にも書いたように清水は、都落ちする芳亭さんとともに京都の下加茂撮影所に行くことになってしまう。

 清水にとっては、まさに  オー・マイ・ガッ・・・!  であった。

 清水の生い立ちは後述するが、彼は静岡県磐田郡の山の中で生まれており、幼時に東京芝浜町に引っ越してそこで小学時代を過ごしている(中学は浜松)。生粋の江戸っ子ではないが東京の華やかなさが身に染み込んでいる。そんな都会人の清水にとって、古都とはいえ鬱蒼とした竹藪の中にある田舎くさい京都・下加茂撮影所での生活は嫌で嫌でたまらなかった。 〔続く〕


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巨匠のムチャブリ - 清水宏 恐るべき子供〝天使と悪魔〟 <その6>

◆ 藪の中の撮影所-京都・下加茂にて

《 加茂にいた間-ことに、たった一人でいる時、淋しすぎるほど淋しかった。だから一人でも、私と語ってくれる人があるなら、私はその人に限りない感謝を捧げた。
 加茂にいた間-私はたまらなく淋しかった。大久保さんにどれほど慰め、力づけられたか知れない。 》
    (『映画読本 清水宏』フィルムアート社) ※加茂は、松竹の京都・下加茂撮影所のこと。


 と、清水は当時、京都・下加茂撮影所にいた時分の心境を文章に残している。当時の京都・下加茂は民家も少ないド田舎だから、当然、近所に遊びに行くお茶や遊女屋もなかった。

 その頃〔大正12年〕、出町先の鴨川東岸から下鴨神社の西域は狭い通路一筋を挟んで深い竹藪があり、その鴨川沿いの藪の中に「松竹キネマ株式会社京都撮影所建設用地」と書かれた丈余の標示杭が立っていた。
               (『映画は陽炎の如く』犬塚稔、草思社)  ※〔〕内、ジャズ野郎註。


 と、震災から逃れて蒲田組が下加茂に大挙して訪れるその下加茂での第1回作品 『お辰の死』 (大正13=1924年)のホン(脚本)を書いた犬塚稔は、撮影所が立つ前の下鴨=下加茂近辺の様子を記している。そこは、うっそうとした深い竹藪が続く僻地であったようだから、万事、自由で遊び好きの清水には耐えられない場所であったことが分かろう。     〔続く〕


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巨匠のムチャブリ - 清水宏 恐るべき子供〝天使と悪魔〟 <その7>

◆ 下加茂時代の恩人・大久保忠素の面倒を見る

 先の清水の《 加茂にいた間 》に出て来る、清水を慰めた〝大久保さん〟とは大久保忠素監督のことで、小津安二郎が助監督時代についていた監督である。

 この人は後に監督から松竹京都の製作側(進行部長)にまわり、松竹が設けた傍系の映画会社 「興亜映画」溝口健二『元禄忠臣蔵』 (昭和16=1941年)を撮った時、その製作を担当した。この作品は例によって溝口が粘りに粘って撮影し、予算を膨大に使った。しかも興行は大惨敗、つまり大コケしたという因縁の大作であり、大久保はその責任を負わされて配置転換(左遷)の憂き目に遭う・・・。

 そして第二次大戦が終結し、戦後、清水は行き場のない大久保を、自身が始めた児童養護施設 「蜂の巣学園」 に呼んでその管理を任せ、生涯、大久保の生活の面倒を見た。
 それは淋しかった下加茂時代の恩返しであったのだろう。
 とはいっても清水は--
「大久保のオヤジが居着いちゃってどうしようもねえよ」
と悪態をつきながら、大久保をコキ使っていたとも言われる。

 清水の口の悪さは、終生、直らなかった。              〔続く〕


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巨匠のムチャブリ - 清水宏 恐るべき子供〝天使と悪魔〟 <その8>

◆ 田中絹代と結婚するまでの紆余曲折 <その1>

 やがてこの虚しく、無味乾燥な下加茂暮らしの沈んだ気分を一変させる出来事が起こる。

 新人女優として下加茂撮影所に入ってきた 田中絹代 との出会いである。

 当時、絹代はまだ15歳で見てくれもまったく子供子供していたが、清水はこの童女にたちまちイカレてしまう。絹代は下加茂に入社するがその2年後、17歳の時に東京・蒲田撮影所に移る。蒲田の社宅で彼女と対面した城戸所長は、絹代を一瞥するなり、「子供だから女優は無理だ」と言ったという。

--  下加茂の生活は一年か一年半ぐらいでしたか。
田中  関東大震災で現代劇部が京都に来ていたんですが、大正十三年に下加茂撮影所の現代劇部を閉鎖されて、蒲田と合併することになったんです。
 私は白井信太郎〔下加茂撮影所〕所長に非常に可愛がっていただいたので、
「(蒲田へ)行くのなら思い切って行ったらどうか。だけど、向こうには怖い人がいるぜ」
と言うのですよ。それが当時の蒲田撮影所長でした城戸(四郎)さんなんです。

 下加茂から十人ぐらいが蒲田に行ったんです。怖い所長さんの面接がありました。
今と違いまして、撮影所の中に所長の社宅がございまして、事務所ではなくて、その社宅へ呼ばれたのです。私は受かろうと思って母にリボンをつけてもらい、精一杯可愛く見せて面接に行ったら、所長がびっくりされました。
「君かね、田中絹代というのは」と疑っておられるのです。
「子どもじゃないか、だめだ。もう二、三年無理だよ」
 と本当に怖い顔をして言われたのです。


 当時、絹代は田中家の家計を一身で支えねばならない立場にあったから、まだ幼いとして蒲田女優の採用に難色を示した城戸に食い下がった。

 そうこうしているうちに、後日返事を出すから、と言われたのですが、私は立たなかったのです。座ったきりじっと、所長をにらみつけていたのです。何と言われても立ちませんでした。母がどんなに落胆するかと、そういうことで頭が一杯でした。必死でございました。それが今日につながったのです。その日にすぐ引き下がっていたらおしまいでした。
-- そのねばりが効いたのでしょうね。
田中  こんなちっぽけなものに、根負けなさったようで、
「わかった、わかった、いいよ。心配しなくてもいいから、とにかく今日は帰って待っていなさい」と、……忘れもしませんよ、飴玉をもらって帰って来ました。それほど子供に思われたのです。
( 以上、田中絹代 「スター女優への道」インタビュアー・滝沢一、『INTERVIEW 映画の青春』 〔京都府京都文化博物館・編 キネマ旬報社 〕所収)


 引用が長くなったが、つまり当時の田中絹代は、それほどに見た目は子供子供していて、女優をやり抜くようなタフネスを備えているようには見えなかったのである。だが、面接で、〝女優志願〟に否定的な城戸所長を睨みつけて根負けさせるような、ものすごいガッツがその小さな体の奥にはあった。

 ロリコン清水がそのいかがわしい好み(?)を刺激されて、岡惚れした田中絹代は、実は清水とは一番うまくいくはずのない、情熱的な烈女でもあったのだが、当時の清水はこのヒョッコ女優の中にそうした性格があることに気づかない。

 要するに、清水宏と田中絹代の恋路は、その当初から波乱含みであった。 〔続く〕


★☆★ お楽しみいただきました 「清水宏 恐るべき子供〝天使と悪魔〟」 は、今後、『ラストシーンの余韻』 と同じく電子書籍化、または紙の書籍化の予定がありますので、<その9> 以降のコラムを非公開とさせていただきます。ご了承ください ★☆★


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『 ラストシーンの余韻 』 発売中!
映画ライター・高村英次、初の書き下ろし長編 『 ラストシーンの余韻 酒乱と失態、女難と頑迷、監督・溝口健二の狂おしき人生 』

高村英次

Author:高村英次
電子書籍版はアマゾン Kindleストア 及び 楽天ブックスから、紙の書籍版は製本直送.comより発売。直近の各コラムの末尾にある発売告知から販売サイトに遷移、またはポップアップ画面が出ますので、そこで購入できます。 

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