すくり~んエッセイ  名画座という名のタイムマシン

◆ 銀座 「並木座」 支配人、ナミキ・トオル の正体

 『攻撃』 の思い出は余分でしたが、とにかくそんな具合で黒澤作品のポスターを入手し、平成15年(2003)に東京から札幌に戻ってきた時にも忘れずに持ってきました。
 札幌に戻って2、3年経った頃、たまたま地元の図書館で映画の本を物色していたら、ある1冊の本を見つけ、それを借りてきた。ず~~と読み進んでいったら、最後の章に並木座のことが書かれてあった。

                   アッ ・・・ と思いましたネ。

 何故なら、その本で取り上げられている、ある映画プロデューサーが並木座の支配人 ナミキ・トオル だった、ってことを知ったから。

 その本とは 『 その場所に映画ありて プロデューサー金子正且の仕事 』 ( 金子正且、鈴村たけし、ワイズ出版 )


            その場所に映画ありて

       金子正且 〔 かねこ・まさかつ。大正7年生、平成19年没 (1918-2007) 〕


 金子さんは東宝のプロデューサーで戦後の映画黄金時代に活躍。東宝のサラリーマン物や青春物、メロドラマを主に担当、成瀬巳喜男監督の後期の作品や岡本喜八監督の非アクション系の作品(『結婚のすべて』『ある日わたしは』『月給泥棒』)、そして〝その場所に映画ありて〟という書名のもとになっている、女性映画の知られざる傑作 『その場所に女ありて』 (1962) を放った鈴木英夫監督の諸作を手がけた、邦画通には忘れられない人であります。

 この本の 第6部【並木座の顛末】 に並木座の事が書いてあり、そこには昭和28年(1953)に開場したこの名画座のことが書かれてあって、印刷屋が入ってたビルの地下1階スペースが空いてその始末に困った不動産屋に泣きつかれた 藤本真澄 (ふじもと・さねずみ。当時、昭和24年〔1949〕に主催した藤本プロを解散して東宝入り。同社プロデューサーから東宝専務、東宝映画社長、東宝副社長)が部下の金子さんに命じて、東宝作品をかける映画館(三番館)をやらせたことが始まりで、やがて東宝以外の映画会社の作品も上映する名画座になっていった、とある。
 並木座は平成10年(1998)に惜しまれて閉館するのですが、その経緯についてはは『その場所に映画ありて』に詳しいので参照のこと。

 ジャズ野郎が「アッ」と思ったのは、つまり黒澤映画のポスターを譲ってくれた、あの時の、並木座の人が、この金子さんだったんだ、って事を発見したからです。

 あー、あの人が金子正且だったんだ ・・・・・ つまり、並木座支配人の ナミキ・トオル (並木透) だったんだ。

 並木座に通った人でナミキ・トオルを知らないなんて人がいたら、そいつはモグリだ。入場料を支払った時、窓口でくれるリーフレットには今週、来週の上映予定が書いてあるのですが、そこに映画業界やその時々の状況を綴ったコラムがあって、その著者がナミキ・トオル。文芸座のリーフレットは、【 文芸坐とて 極楽 < パラダイス > ではない ・・・  < その1 >】 〔 2015年4月8日付 〕 で紹介したように今でも持ってるんだけど、並木座のは・・・いや、確かどっかにある。何かの映画の本に挟んであるハズだけど、今ちょっと見つかりません(※ 1 )。ま、とにかくナミキ・トオルは忘られない名前。

 で、『その場所に~』にはもちろん、金子さんの顔写真も載ってます。でもそれを見ても、あの時、黒澤好きなバカ熱心な若者(わたくし)にポスターをニコニコと快く解説付きで売ってくれた人がこの人だった、という確証が実は持てない。顔もかたちも忘れてしまっているんですよね。
 だから本に載ってる顔写真を見ても判然としないのです。

         この人だったかもしれないし、そうじゃなかったのかも ・・・ ( ※ 2 )

 ま、ココではナミキ・トオル=金子正且に〝会ってた〟ってことにしときましょう。
 ジャズめは東宝映画の一翼を担った敏腕プロデューサーに会っていた。
 それも自分が好きだった 『江分利満氏の優雅な生活』 (1963、岡本喜八監督)や 『続何処へ』 (1967、森谷司郎監督)、そして 『めぐりあい』 (1968、恩地日出夫監督)をプロデュースした人に会ってたんだ、と思うと、やたら嬉しいんですよネ、今になっても。            〔続く〕

※ 1 「並木座ウィークリー」  上映中の作品、または来週の上映予定作品を紹介していた並木座のリーフレットは、「並木座ウィークリー」ですが、コレはいま1冊の本になっている。開館した昭和28~31年(1953~1956年)までのものを集めたもので、その名も「復刻 銀座並木座ウィークリー」( 復刻版銀座並木座ウィークリー編集委員会・編、三交社)で、かなり分厚い本ですが、凄いのは厚さだけじゃない。中のコラムの執筆陣がメチャクチャ豪華。森岩雄、城戸四郎といった東宝・松竹の重鎮から、丸山誠治、中村登といった当時の売れセン監督やスタッフ、森繁久彌、高峰秀子といった当時の人気スター陣が毎回、筆を執っている。因みにこの時期のウィークリーには、ナミキ・トオルは登場していない模様。

※ 2 『その場所に映画ありて』 の 第6部 の中で、金子氏は最初、藤本真澄から「並木座」をやれと言われて、別の人を支配人に置いたらしい。それは映画プロデュースの本業が忙しかったからだが、映画が斜陽になった昭和40年後半になるとまた藤本から「並木座の面倒を見てくれ」と言われて、自分が支配人を務めるようになった、と書かれている。だからポスターを譲ってくれた人はかなりの確立で、金子さん、つまり支配人ナミキ・トオルさんだと思ってるんですがね。


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◆ 銀座 「並木座」 への思い入れ  < その3 >

 そんなこんなで銀座・並木座も池袋・文芸坐と同じくらい、ジャズ野郎には忘れられない名画座なんですけれど、『酔いどれ天使』『野良犬』を観に行った昭和57年以降も何度かココに名画を見に行きました。

 その中で忘られないのは、山本薩夫監督の 『にっぽん泥棒物語』 (1965・東映)とか成瀬巳喜男監督の 『放浪記』 (1962・宝塚映画)ですか。

 この2本にはまたそれぞれ思い出があって、まず『にっぽん泥棒物語』から。

 山本薩夫監督はジャズ野郎が黒澤作品のポスターをゲットした翌年の昭和58年(1983)8月11日に逝去され、この年の秋に特集上映が組まれた。
 今はなき、「渋谷パンテオン」が入ってた東急文化会館の「渋谷東急」だったと思うけど、ここで山本監督の名作をいくつか観た。印象に残ったのが 『荷車の歌』 (1959・全国農村映画協会)、『武器なき斗い』 (1960・大東映画)、 『証人の椅子』 (1965・山本プロ)、 『氷点』 (1966・大映)あたりで、当時、大学の友人に、

 「一番良かったのは、『武器なき斗い』かなあ」
   と言ったら、その人は
 「いや、ヤマサツの一番は 『にっぽん泥棒物語』だ 。コレ、観てないの?」
 「 ・・・ 」

 特集上映にその作品はあったけれど、それを見逃していたジャズ野郎はこの〝ヤマサツの一番は・・・〟が頭にこびりついて離れなかった。ジャズめがいいと思った『武器なき斗い』は、戦時中、軍部支配の政府に反旗を翻した硬骨の政治家 ・ 山本宣治 が極右(テロリスト)に殺されるまでを描いた大作で、山宣は戦後に再評価されるわけだけど、それを示す山宣追悼集会のシーンで、いきなり画面がカラーになって、幾千もの赤旗が雄々しく翻る!
 横長のシネマスコープの大画面がモノクロからカラーに転換して、そのデカイ画面に赤旗を掲げた日共の党員とか庶民の支持者が大挙登場して、うち振られる赤旗の数がものすごい・・・鮮烈なイメージだった。
 まるで旧ソ映画みたいな感じ(プロパガンダ)だった。その圧倒的なムードの中にエンドマークが出るわけですが、これにビックリした。

         ここだけパートカラーにしてる、ってのはスゲエなあ・・・と。

 〝赤いセシル・B・デミル〟と呼ばれた左翼監督・山本薩夫の面目躍如たるものがありました。いかにもだなー、という。
 だから、別に赤旗に感化されたわけじゃないけど、〝山宣ひとり孤塁を守る〟の名句で知られる山本宣治の生き様に共鳴したから、『武器なき斗い』が一番良かった、とジャズめは思ったのですが、その人が言うには『にっぽん泥棒物語』の方がいい、と。

 それで、並木座にその『にっぽん泥棒物語』がかかった。
 もちろん、観に行きました。
 それはもう大学を出て、入った出版社を辞めて、銀座の隅っこでバイトしていた頃でした。 〔続く〕


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◆ 銀座 「並木座」 への思い入れ  <その4>

            にっぽん泥棒物語
  ▲ 「にっぽん泥棒物語」 1965年・東映 監督・山本薩夫、出演・三國連太郎 東映ビデオ


 今でも覚えてるけど、『 にっぽん泥棒物語 』 を見終わって並木座を出てきたジャズ野郎は、しばらく映画館から離れられず、その入り口に佇んでいた。確か壁に付けられたガラスケースみたいな中にポスターやら、その時の作品の情報を書いたリーフレットなんかが貼り付けられていたと思うけど、それをただずっと見ていた。
               何か立ち去りがたい思いがして・・・。

     この『にっぽん泥棒物語』に、そのエンディングに圧倒されちまったんですな。
     心臓をギュ~ッとワシづかみされたような、強烈なショック、感動を覚えた。

 それは--こんな意表を突いたエンディングの <嬉しい> 映画が日本にあったのか! --ってな驚きです。

 人によっちゃ「こんな映画なんかいくつもあるジャン、そんな大袈裟に興奮すンなよ」って冷ややかに言うかもしれない。

 でも、コレ、実話でっせ! 松川事件 (※1) って有名な冤罪事件をメインに、というか、むしろサブ・エピソードみたいな感じで取り込んで物語を仕組んでいるわけですが、ジャズめがショックを受けたエンディングは実際にあった事(事実)。
 ま、この時はそれが実話通りだとは知らなかったけど、こんなハッピーなエンディング、しかも反権力のテーマを十二分に打ち出して、時の体制(政府)とか警察権力をあざ笑い、諷刺しきった見事なエンディングというものを、<日本映画 > の中では見たことがなかった(脚本は 高岩肇 武田敦 )。

 しかも感動させんだよね。笑わせて泣かせる・・・最後、三國連太郎の主人公が傍聴席にいる佐久間良子の妻に寄り添うあたりでは、もう涙でぼやけてよく見えなかった -- ここに「終」が出る。しかもここにかかる音楽が、ドヴォルザークの『家路』みたいな郷愁をさそう曲調で、まさに〝三國連太郎は愛する我が家に帰っていった〟って終わり方を(暗示)するんだよね(音楽は 池野成 )。巧いなあ。

                コレにはマイッタ、素晴らしい!
 
 大学の友人が言った言葉はホントだった、と実感した。

 だから未だに山本薩夫のベストは、『白い巨塔』(1966・大映)でも 『戦争と人間』 (1970~73、全3部・日活)でもなく『にっぽん泥棒物語』だ・・・・コレじゃなかったら、『真空地帯』(1952・新星映画)。個人的には 『氷点』 も好きだけど。                            〔続く〕


※1 「松川事件」 昭和24(1949年)、福島県の松川駅-金谷川駅間で発生した脱線転事故は、事前に線路のボルトや枕木が外されていたため、事故ではなく事件(テロ)と断定。国鉄の組合関係者など20名が不当逮捕、裁判で数名に死刑判決も出た。しかし逮捕当初から警察の強引な見込み捜査による冤罪が囁かれ、松本清張など文人・知識人による支援運動がまきおこり、昭和38年、最高裁で全員無罪が確定した。
 松川事件は、同じ年に発生した 「下山事件」 「三鷹事件」 とともに国鉄を巡る3大ミステリーと言われ、その裏にはアメリカの特殊機関が暗躍したとの説が根強くある。
 余談だが、俳優・ 山村聰 が監督主演した 『黒い潮』 (昭和29=1954年)は下山事件に材を取った社会派ミステリーだが、このシナリオを書いたのは黒澤(明)チームの脚本家・菊島雄三。菊島はここで下山事件を占領軍(アメリカ)の陰謀だとする筋書きにしたために、アメリカ政府のブラックリストに載った。
 その証拠に、それから5年後、昭和34年(1959)に松竹が内川清一郎監督、杉浦直樹主演で 『パイナップル部隊』 を映画化しようとした時、アメリカからクレームが付いた。アメリカ大使館に呼びされた製作担当の 岸本吟一 はこう言われた。

「好ましくないスタッフが一人いる。ライターを代えてほしい」
 それは菊島隆三のことだった。その前作『黒い潮』は、下山事件に材をとり、策謀者を〝緑の服を着た大柄な男(米軍関係者)〟と暗示していた……。
 アメリカ側の「好ましくないライター(菊島隆三)」を小国英雄に代えることによって、在日米軍の協力が実現。
               (『銀幕の影 -映画プロデューサー交遊記』岸本吟一、葉文館出版)


 朝鮮戦争に狩り出されて、日本を訪れたハワイの日系二世たちが味わうカルチャー・ギャップと過酷な戦場での体験を描いた群像劇『パイナップル部隊』の脚色者は、クレジット上は小国英雄になっているが実際は菊島隆三であり、菊島は『黒い潮』でアメリカに睨まれた。昭和30年代に菊島が渡米したくてもビザが下りずにできなかったという事もあったらしい。
 この下山事件に対する菊島隆三の拘りは強く、後に 『日本の熱い日々 謀殺・下山事件』 (昭和56=1981年・俳優座映画、熊井啓監督)で再びこの事件を追究している。


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◆ 銀座 「並木座」 への思い入れ  < その5 >

 で、成瀬監督の 『放浪記』 (1962年・宝塚映画)の思い出ってのは、実は書くのもためらわれるショーモナイ話。

 ここ数年、というか、年を経るごとに評価が高まっている気がする(というのは、成瀬監督やその作品に関する書籍がどんどん出てきてますから) 成瀬巳喜男 監督ですが、ジャズ野郎が興味を持ったのは、平成7年前後あたりで、その頃、文芸坐2(以前の文芸地下)で成瀬監督の特集上映を観に行った。この時、その作風のしなやかさと巧さに舌を巻いて、たちまち成瀬マニアになったわけですけど、それは後の、再度、文芸坐に話を戻した時にとっておくとして、並木座で見た『放浪記』について少し。

 ご存知のように、この林芙美子の自伝的な小説は、映画よりも菊田一夫が戯曲化した芸術座の芝居の方が有名で、亡き森光子の当たり役(でんぐり返し)でしたが、その森光子が演じたヒロイン(要するに原作者・林芙美子、コレ、自分の話ですから)に高峰秀子が扮したのが成瀬版。高峰秀子は演じるに当たり、

 この一風変わった情熱の女を演じるには、デフォルメされた強引な演技によって押し切る他はない。というのが私の結論であった。
 とくに、男に嫌われ、捨てられて、そしられるには、見るからにヤボでみっともない扮装をしなければならない。そこから割り出したのが猫背であり、ジロリとした上目遣いであり、だらしのない着物の着つけと歩きかただった。
                      (『わたしの渡世日記・下巻』高峰秀子、文春文庫)


 林芙美子の顔(写真)を見た人なら先刻ご承知だろうが、彼女は醜女。よって、美女の高峰秀子は醜女になるべく、前記のような出で立ちやポーズで感じを出そうとし、確かノーメイクで演じたハズ。要するにブスに映るように努力したようだが、その甲斐あってか(?)、この映画は興行的に思ったほどのびなかった(やっぱし)。

 成瀬監督には高峰秀子と組んだ作品が多く、特に同じ林芙美子原作による 『浮雲』 「俺には撮れない」小津安二郎さえも唸らせた名作(代表作)である。しかし『放浪記』は成瀬監督が自ら製作に乗り出して作った作品にしては、『浮雲』と比べると同じく〝生々流転の女性の半生〟を描いているわりに、激動感が薄く、凝縮力が足りないというか、軽い感じがする・・・と、コレはずっと後、府中のホール上映かビデオかケーブルテレビで見直しての感想ですが。     〔続く〕


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◆ 銀座 「並木座」 への思い入れ  <その6>

 そんな『放浪記』の感想はともかく、なんで並木座で見たこの映画が忘れがたいのかというと、作品の良し悪しではないのです。コレを見た時のジャズ野郎の体調不良がひどかったことが忘られないのです。

 下痢です。この映画を観た時だけじゃなく、この年いっぱいひどかった。

 原因は2月あたりに食った牛肉で、コレにあたってさんざんな目に遭った。この時、病院に行かずに、寝こんで治しちゃったのがいけなくて、1年間ずっとお腹がユルカッタ。
 ユルカッタどころじゃない、水をひと口飲んでもお腹に鈍痛が走り、カリントウ1個食べても便意を催してしまう。そんなだったから、喫茶店やファミレスに入って外食しても、ひと口ふた口食べたら速攻トイレに駆け込むような案配。
 落ち着かないったらありゃしない。
 だからその年はあんまり外食しなかった。

 『放浪記』を観に行った時は、確か春の4月ごろで、食中毒を起こしてから2ヶ月余も経っていたけど、未だそんな状態 ・・・ なのに、本人はまだその重大さを認識しておらず、映画を見る前に缶コーヒーを買って、それを飲みながらスクリーンを眺めていた。

 妙に足許が冷えてて、「花粉症の影響なのかな、もっと着こんでくればよかった・・・」なんて思いながら観ていると、やがて3、40分したあたりで下腹部に激痛が走り、トイレへ。これでもう大丈夫と思っていたら、また腹痛をもよおして・・・。
「映画を観ている最中に、2回も中座したくない!
 と頑張ったけれど、痛みには勝てず、またもトイレへ。

 と、こんな具合に2回も中座してちゃ、映画に集中できないから、結局、この時点で観るのを諦めて並木座を出ました。
 
         あ~、入場料もったいねえなあ ・・・ などとホザきながら。

 そんなわけで、この年(平成6=1994年)の煩雑な腹痛はたまらなかった。

 実は、並木座に行ったのは、この腹痛で中座した『放浪記』の時が最後だったのです。 どーせ、そのうち、また行くサ、などと思っていたら、それから4年後、アッという間に並木座は閉館してしまった(平成10=1998年)。
 噂によれば、並木座が入っていたビルのオーナーが、老朽化したビルの建て替えに当たって、もう映画館はテナントに入れない、と言ったからだとか。

この頃、1館建ての映画館がどんどんなくなっていったから、名画座がなくなるのも無理はなかったが、それにしても 銀座 「並木座」 閉館は、新宿昭和館、大井町の武蔵野館の閉館とともに淋しかったよネ。      〔続く〕


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◆ 行きそびれた伝説の劇場 ( こや ) たち

 すでに閉館してしまった往年の人気名画座というと、並木座や新宿昭和館よりもずっと前、ジャズ野郎がまだ大学生だった時に、一部で熱狂的な支持者がいた東武東上線の「 上板東映 」があった。正式名称は「上板東映劇場」だが、みんな親愛の情を込めて 〝 カミイタトーエイ 〟 と呼んでいた。
 ココが閉館するときには、それを惜しんで最終日に映画スターがいっぱい訪れて、あの 松田優作 がステージで挨拶をした、という逸話もあるところだけれど、実を言うとジャズ野郎は1度も行ったことがないのです。
 いや、行こう行こうと思っているうちに、閉館てなことになっちゃって・・・。

 ココと名画座じゃないけれど、ロードショー館の「 テアトル東京 」には行ってみたかった(当時の超大型映画、シネラマを上映できた唯一の映画館だったから)。

 もちろん、日本映画史的にも重要な 日本劇場 にも行ってみたかった。ここで映画を観てみたかった。でもココはジャズ野郎が大学入学で上東した時、すでに改築工事に入っていて、羽田空港からモノレールに乗り、山手線で有楽町駅を通過する際に、その車窓から周囲を囲われた日劇が見えた。それは、むき出しの赤茶けた鉄骨が痛々しい、無残に破壊された姿だった ・・・ 間に合いませんでしたナ、残念ながら。

 日劇はすでになく、上板東映には行きそびれ、あと前に書いた浅草近辺の映画館(要するに東京都東半分の劇場)にも入った経験がない・・・これじゃマズイってんで、東京で3度目に引っ越しする時には中央線沿線の街を選んだ。
 当時はまだ中野や荻窪、吉祥寺に映画館があって、何より三鷹に有名な「 三鷹オスカー 」があったから。忘れもしない、ジョン・フォードの刑事ドラマ 『ギデオン』 (1959・米)をココで観た。座席を確保しようと上映が終わるちょっと前、早めに内部(なか)に入ってドアを開けて潜り込んだら、ジャック・ホーキンスの顔がデッカくスクリーンに広がってて、

   「 オオッ ・・・! 」 と思ったっけ。

 で、この『ギデオン』の時だったと思うけど、映画が始まるまで、入り口付近の横長の椅子に座って待ってたら、車のエンジン音がした。外にトラックが停まり、荷物を持って劇場の入り口から配送のニイサンがドタドタ入ってきたのだが、そのニイサンが持ってきたのは大量のフィルム缶だった。
 フィルム缶、つまり次週上映されるフィルムを運んできたわけです。

         「おー、フィルム缶じゃねえか、懐かしいなあ ・・・ 」

 なぜ懐かしいかというと、日芸時代、さんざん扱ってるわけですから。と言っても16㎜ですけどね、一般上映用はご存知のように35㎜。35㎜と16㎜じゃ、ワンロールの大きさは比べものにならないくらいに違う。もちろん、35㎜の方がデッカイ。
 それがまあ、普通の映画、上映時間2時間内だったら、5、6個もあるわけで、そのニイサンは積み重ねて持ってきたデカいフィルム缶の山をモギリ(受付)の横の出入り扉のところに、ドンッ! と置いた。フィルム缶の山ってのはかなりの量です、ちょっとした塔ですわ。

 で、フィルム缶には、その真ん中の円いステッカーに映画のタイトル名とか番号(何巻目かを示すナンバー)、フィート数とかがゴチャゴチャ書いてある。

 ジャズ野郎は好奇心にかられて、当然、覗き込みましたよ。

         「どれどれ、来週かかる映画って何なのかな?」

 と見てみたら、確かそれは溝口健二の映画だった。溝口の何だったかは忘れたけれど、確かに溝口監督作品だったと思うのです。
 でも三鷹オスカーって洋画専門じゃなかったのかな? 日本映画の旧作もかけたのかな?

 と思って、今、ネットで調べたら、松田優作の遊戯シリーズ3本立てなんかもやってるようだから溝口を上映していた可能性はある。
 それに、そうだ、3本立てで1000円だった、入場料。

 三鷹オスカーは、映画監督の鶴田法男さんのお父さんがオーナーで、法男さんのお兄さんが映画評論家の鶴田浩司さんでかつては「-オスカー」の番組編成を担当。
 実は今も〝三鷹オスカー 一日だけ復活〟と称して「三鷹コミュニティシネマ映画祭」という上映イベントを年に1回(昨年までで6回)開いているようです(と、コレもネットでたった今調べて知ったネタ)。

 ほかに 新宿昭和館 とか 大井町武蔵野館 でもショーモナイ思い出がありますが、いちいち書いてもしょうがない。そっちの話はいずれまた・・・。       〔続く〕


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◆ 映画は初公開の時 〔リアルタイムで〕 、ロードショーで観ときなさい

 その頃(昭和50年代前半)の、田舎、つまり都会(首都圏)ではない地方で映画を観る事の余得ってのは、ロードショーは2本立て、つまり2本の新作が1作分の入場料で観れて、しかも前売り券なんか最初(中1)は600円とかって額だった。名画座のじゃないよ、全国公開ピカピカの新作ロードショー映画の料金が600円、しかも2本観られた。

 昭和57年(1982)に東京に来たら、ロードショー(館)は1本きりで、そうだなぁ、前売りでも800円とか1000円とかって額じゃなかったかな(年経るにつれ、どんどん上昇)。だからその当時の文芸坐の、2本立て、もしくは3本立てで500円(じゃなかったかなあ、料金って)はお得もお得。文芸坐の会員になれば、年間チケット(確か入会金を払えば、半年間300円で観られる割引チケットが3枚とか5枚とか付いてくるんじゃなかったかな)がもらえて、もっと安く観られた。

 今はDVDやビデオ、ケーブルテレビなんかがあって、そこで昔の名作を見られるけれど、当時は名画座しかなかった。でもだからって、古い映画ばっか観てるわけにもいかない。

 大学時代には、スピルバーグ監督の『E.T.』とかロバート・レッドフォードの『ナチュラル』、フィリップ・カウフマン監督『ライトスタッフ』、ベルナルド・ベルトルッチ監督『1900年』、黒澤明監督『乱』、大島渚監督『戦場のメリークリスマス』、市川崑監督『細雪』、今村昌平監督『楢山節考』、神代辰巳監督『恋文』などなど新作&注目作が公開されたから、これらはどーしてもロードショー(館)で観たい。

 名画座に落っこちてくるまで、じ~~っと待ってるなんて事、できまっか?! 
 できまへんやろ。

 ガッコの先生(日芸・映画学科の講師)も

「君たち、映画はね、なるべくその作品が初公開された時に、つまりリアルタイムで、ロードショーで観た方がいいよ」

てな事を言ってたし。

 これは、映画はそれが初めて公開された時に観ておけ、というわけだが、どうしてかというと、結局はその映画がその時代に作られた(公開された)ということを覚えておくのが大事だ、って事だと思う。
 時代(背景)と映画っていうのは切っても切り離せないもんなんだ、という事だと理解してるけど(違うかもしれない)。

 それを言った先生はシナリオの授業の 杉山義法 〔 すぎやま ・ ぎほう 〕 さんだった。
 いや、演出論 の 西河克巳 監督だったかもしれない。
 ま、一応、杉山先生ってことにして、この杉山先生は当時、第一線のシナリオライターで、ジャズ野郎が大学在籍中は、NHKで 『宮本武蔵』 (日曜の大河枠ではなく、水曜夜8時、役所広司が武蔵)を、また日本テレビが年末にやっていた時代劇スペシャルの脚本を書かれていました。

 里見浩太朗主演の 『田原坂』 (昭和62=1987年)とか 『五稜郭』 (昭和63=1988年)とか。

 そんな具合に、実際にホンを書いたり、監督したりして、活躍されている、現役の脚本家や監督さんの話が面白かったし、タメになりましたよね(ということは、第一線におらず、開店休業状態の人もいたってわけですが ・・・ ず~~と前に書いたコバケイさん〔 = 小林桂三郎 〕なんかはコッチの口。話は面白かったけど、いかんせん昔話ばっかだった)。       〔続く〕


< 『祇園の姉妹』や『浪華悲歌』で日本映画にリアリズムを打ち立て、
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◆ 君たちにも、映画を観ない時期ってのがきっと来る・・・

 あと、杉山義法先生が話してくれたことで覚えているのは・・・というくらい、この先生はシナリオの作法とか理論とか、書き方みたいな実際的なことはあまりお話しされなかった。例えば--

「この新聞に、青年が少女を殺した記事が載っている。コレをストーリーのベースにして30枚程度の短編シナリオを書きなさい」

みたいな、いかにもシナリオの講師がやりそうな授業は1回もなかった。

 じゃ、何やってたかというと、毎回、製作現場の四方山話、世間話・雑談だったように記憶する。杉山先生の他にもう一人、シナリオの先生がいて、確かお名前は五十嵐さんだったと思うけど、コチラの先生の講座でもあんまり〝授業〟っぽいことはしなかった(ような記憶が・・・)。

「 君たちね、映画は若いうちに観とくもんだよ。
 映画観るのも体力だ。年取ってくると、観てるだけで くたびれる。
 上映時間が2時間以上ある作品なんて、もうパスだね。シンドイもの 」


 なぁ~んて言ってた。あッ、だから「映画はロードショーで観なさい(公開時にリアルタイムで観ろ)」と言ったのも、杉山さんじゃなくこっちの先生だったかもしれない。

 それはそうと、杉山先生で思い出されるのは、「そのうち映画を観なくなる時が来る」って話と、あの今井正監督とケンカした話。
 杉山先生は、授業の中で、確かこんな事を言っていた。

「 君たちね、今でこそ映画、映画って言って、〝映画がなければ夜も日も明けぬ〟みたいな顔してるけどさ、そうそう映画ばかりも観ていられないもんだよ。

 僕にしても、まったく映画を観ない時期ってのがあった。

 結婚して所帯持って、子供が出来て、生活のためにああだこうだ、ってやってると、映画なんか観てる場合じゃなくなるんだ。喰ってく事が第一になるからね。

 そのうち、どうにか書いたホン(脚本)が売れてきて、仕事が来るようになって、また観るようになるんだよ。
 だけど、観てない期間のロスってあるじゃない。それがあると、〝あの映画のあのプロット、あのスタイルでいきましょう〟なんて言われても、コッチは観てないから判らないわけよね。局のプロデューサーと打合せする時なんか支障を来しちゃうからサ、後追いで名画座に行って観たりしてね (笑) 。

 まあ、そういう事もあるけど・・・。

 でも、焦ることはないよ。そういう映画を観ない時期、観ていられない時期、ってのは誰にもあるもんだから ・・・ 」

 杉山先生のこの言葉、今も時々思い出す。数年前、父が亡くなって、家の中がシッチャカメッチャカになって右往左往していた時は、よくこの言葉を思い出して、反芻していた。

        「あー、俺はいま映画を観てなくてもいい時期なんだナ・・・」

        なんてね。心の支えでしたよ。

 ホントにありがたい言葉を言ってもらったもんです。     〔続く〕


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◆ 学生に批判され、頭に来た今井正

 脚本家・杉山義法 さんが語っていた 「今井正とケンカした話」 は、30数年も前に聞いた逸話だから、細部は曖昧で、内容も違ってるかもしれないけど、要するにベストテンの常連監督と呼ばれた、天下の巨匠にイチャモンつけて怒らせてしまったって話。

 杉山先生がまだ学生だった頃、銀座か、新宿か、青山か、まあ、そんなところを学友と歩いていたら、今井正監督を見かけた。コレがただ道で見かけたのか、今井監督の何かの上映会か講演会か、そんなイベントのついでに見かけたものか、忘れちゃったけど、とにかく杉山さんたちは声をかけた。

 想像するに--

「 ア、あのう、もしかしたら 『また逢う日まで』 の今井正監督じゃないですか? 」
「 ええ、そうです 」
「 僕達、映画を勉強している学生です。こんなところで、名監督にお会いできるなんて光栄です。是非ともお話しを聞かせていただきたいんですが 」
 とかなんとか言ったら、今井監督が
「 やー、名監督かどうかは判らないけれど(とテレつつ)、じゃ、時間もあるしお茶でもしましょうか 」

 なんてな事でダベることになったんじゃないか、と思うのですが、こういう時ってのは、往々にしてヤバイ。

 映画好きたって実際に映画を作ってるプロの今井正に比べたら、杉山さんたち学生はただのシロウト。で、この映画好きのシロウトって人種ほどタチの悪いヤツはいない。
 最初は好き嫌いは別として今井正をプロの映画人、現役の大監督として尊敬しているから、言葉使いも丁寧で、今井作品についても、まま、好感触な部分から話したりして、要は持ち上げていきますわな。
 だれど、そのうち、次第に学生独特の 青くさい映画観 というやつ(政治的なイデオロギーがどうの、とか、描き方がヌーヴェルヴァーグを意識してる、とか、してないとか、てなイチャモン)がモゾモゾと蠢動して、次第に目の前にいる巨匠監督に噛みつき出す。
 いや、目の前にいる映画人が、有名人だったり、大物であればあるほど、そうした権威にひと言言ってやろう、ってな思いが噴き出してきて、ヒジョーに失礼な、無礼な発言が多くなる。批判しちゃうわけですな。

 今井監督にしても最初の内は、そういうトガッた意見に対して、

「 俺に向かってよくも生意気なこと言ってくれるじゃねえか。 なかなかやるな 」

 みたいに甘受しただろうが、あんまり批判ばっかされると、頭に来ますよね、誰だって。

 確か杉山先生はこう言ってました。

「 最初は、和やかに話してたんだよ。
 でも、俺も若かったから、今井さんのあの映画のアレはどうしてああなんですか? とか、
 アソコはああじゃなくて、こうじゃありませんか、とか生意気なことを言っちゃって。

 ちょっと甘いンじゃないですかネー ・・・ なんてね。

 ホント、今にして思うと今井さんに悪いことしたと思うんだけど、若気の至りだよね。

 ああいう描き方じゃ、まだ手ぬるいでしょう、体制を変えるためにはもっと檄を飛ばすような主張を入れた方がいいんじゃありませんか! 
 メッセージ性が足ンないでしょ!

 ・・・ なぁ~んて事言ったんだ。俺だけじゃなく、友達みんなで。

 そしたら今井さん怒っちゃってさ、そんな事、君らに言われる筋合いはない、とか、もう、そっからケンカよ。
 自分たちからお茶に誘っといて、吊し上げるようなことしちゃったんだからなあ、ヒドイよなあ 」


〔 続く 〕


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◆ 全盛期に大島渚ら後輩から 「下手くそ」 とケナされて・・・

 昨年、ジャズ野郎は必要に迫られて、

『 今井正の映画人生 』 (新日本出版社編集部、新日本出版社)、
『 今井正映画読本 』 (今井正監督を語り継ぐ会・編、論創社)、
『 今井正「全仕事」 』 (編集・映画の本工房ありす、発行=ACT、発売元=東銀座出版社)

 と3冊の今井監督関連の本を読んだのですが、今井さんほどアチコチから批判や侮辱、八つ当たり的な中傷を受けた巨匠はいないんじゃないか、ってほど叩かれてる。

 今井正は、キネマ旬報社が毎年発表している年間ベストテンで第1位をゲットした回数が、世界のクロサワを抜いて一番多い人、にも関わらずだ (※) 。いや、そういう掛け値なしの大監督だから、やっかみ半分で批判されるのかもしれない。
 そういう批判は外野だけでなく同業の映画人からもあって、同じ監督の大島渚からは、「今井正 下手くそ説について」なんてウソみたいにヒドイ題名の論文を出される始末。 これは昭和33年の 『 映画批評 』(1958年10月号) に載った論文だが、

 どだい今ほど今井正をケナしやすい時はない。
 「夜の鼓」は評判が悪かったし当たらなかった。
 共産党はオチ目だし世の中は平穏無事だ。
 「社会派監督」今井正には辛い時である。…(略)…。
                                 ( 『 今井正映画読本 』 所収 )


 といった書き出しで、大島監督は、すでに今井正を攻撃 (糾弾!) していた 中平康増村保造 を戒めながら、自分でもやっぱり今井正の映画は甘いとしっかり主張している。

  しかも笑っちゃうのは、この大島の論旨が--

 今井正の映画は甘くてなっちゃいないけど大衆には受けているから、中平・増村も今井と同じように撮ってる作品は当たってないわけだから、今井を中傷する根性があるのなら、もっとガンバレ!

 というもので、上げたり下げたりした挙げ句、結局は今井正を否定するという、悪フザケもいいトコの一文で、まったく今井監督にしてみれば、災難、としか言いようがない。        〔続く〕

※「ベストワンに輝いた今井作品は5本」 
・『また逢う日まで』・・・昭和25年(1950) 東宝
・『にごりえ』・・・・・・・・・昭和28年(1953) 文学座=新世紀映画  
・『真昼の暗黒』・・・・・・昭和31年(1956) 現代ぷろだくしょん=独立映画
・『米』・・・・・・・・・・・・・・昭和32年(1857) 東映
・『キクとイサム』・・・・・昭和34年(1959) 大東映画=松竹


< 『祇園の姉妹』や『浪華悲歌』で日本映画にリアリズムを打ち立て、
  『西鶴一代女』『雨月物語』などの名作を放った溝口健二の人生を、
  伊藤大輔・小津安二郎・黒澤明などのライバル監督&スタッフとの
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◆ 受難に次ぐ受難の映画人生を生きた男  < 前篇 >

 今井正 は昭和20~30年代、ベストテンの常連監督として日本映画界のトップを快走したが、同時に常に批判に晒された
 昭和30年代の終わり頃、製作の基盤であった独立プロ運動が下火になって、メジャーの東映や大映などで体制や権力を告発する社会派モノや時代劇、メロドラマを撮っていくことになるが、そこでは賛同者も多かったが、敵も多かった。

 そして1960年代末、部落差別を描いた住井すゑの大著 『橋のない川』 (昭和44=1969年・ほるぷ映画)の映画化に着手するが、この時、本来、歓迎されるはずの部落解放同盟(のお偉いさん)から徹底的な製作&撮影妨害を受ける。
 『橋のない川』はずっと後、平成になってから 東陽一 監督によってリメイクされたが(平成4=1992年・ガレリア=西友)、このリメイクされた方をジャズ野郎は観てますが、今井版は未見。
 この今井版製作の過程であまりにもヒドイ妨害があったことを初めて知り、その恐るべき妨害行為の数々に絶句した(興味のある方は『今井正の映画人生』あたりを読まれたし)


     思うに--今井正の映画人生は、受難に次ぐ受難、だったのではなかろうか。


 昭和10年(1935)、京都の J・Oスタジオ に入り、2、3本の作品に助監督として就いただけですぐに監督に昇進。デビュー作の 『沼津兵学校』 (昭和14=1939年)が好評で、それを観た東宝の 藤本真澄 (当時、島津保次郎の演出助手から製作部付きに)に呼ばれて東京の東宝砧撮影所に転籍となる--監督業の滑り出しはラッキーであったが、戦時中は国策映画を撮らされた
 日本共産党員であり、戦争(軍国日本)にはもちろん反対だったが、それを拒否すれば、亀井文夫 のように監督のライセンスを剥奪されて、映画は撮れないし、撮影所から放り出され、要は生活費にも事欠くことになる。つまり不穏な戦時下、家族もろとも路頭に迷うことになるのだ。
 そこで今井は他の監督たちと同じように、自身の主義や主張を抑え、言わば〝自分を殺して〟 東宝上層部から言われるままに 『望楼の決死隊』 (昭和18=1943年)や 『怒りの海』 (昭和19=1944年)といった戦意高揚を目的とした国策映画を撮っていった (※)

 戦後は東宝争議に巻き込まれ、砧スタジオが〝細胞〟と呼ばれる共産党分子に先導された赤化した組合員とそれを扇動する左翼の活動家、そしてそれらに反対の撮影所員らが対立し、時に血まみれの抗争があったり、スタジオが封鎖されたりもした、荒れ狂い揺れ動いた撮影所の中で、 『青い山脈』 (昭和24=1949年)を撮って大ヒットさせる。

 昭和25年(1950)、レッドパージでクビになる前に自らの意志で東宝を退社するが、当座は生活費を稼ぐために クズ屋 (くず鉄などを拾い集めて、それを高値で売って儲ける、戦争直後に流行った商売)をし、その頃、始まった独立プロでの映画製作に飛び込んで名作を連発、ベストテンの常連監督になっていくわけだが、今井家の経済は常に火の車であった。     〔続く〕

※ 今井正の映画界入り前後の状況と戦時中の東宝時代については、既にアップした以下の記事を参照してください。
●【巨匠のムチャブリ-島津保次郎 オヤジの蛮行】の<その56/その57>(2013年8月27日・28日付)
●【日本の映画監督 監督志望者の〝傾向と対策〟】=◆ アカい若者は撮影所を目指す<その9/最終回>(2013年10月11日付)
●【日本の映画監督 戦時下の監督たち】の<その1>、<その3>、<その6> (2013年9月2・4・9日付)


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◆ 受難に次ぐ受難の映画人生を生きた男 < 後篇 >

 今井正監督の作風は、後輩の大島渚らが標榜したような急進的な社会告発や革命性ではなく、下から目線で庶民と社会を描く穏健なものだったから、時に 「情緒過多である」 とか 「アナクロだ」 とか 「手ぬるい」 「甘い」 などと批判された。

 このず~~~っと後ではあるが、ジャズ野郎も今井監督が 『戦争と青春』 (平成3=1991年)というヤワなタイトルの遺作をもって亡くなった時、

 どーして日本の大監督、巨匠って人達は、最後の最期に繰り言のように反戦映画を撮ろうとするのだ? 
 バカの一つ覚えのように、反戦を叫ぼうとするんだろう?

 と思い、半ばバカにして、この遺作を観るのを敬遠した。

 しかし、さきの今井本に書かれていた『戦争と青春』が製作・公開される迄の〝闘い〟--ほとんど片目が見えず、心臓がマヒして、身体のアチコチに致命的な欠陥を抱えながら、死ぬ覚悟でこの映画の製作に当たった今井監督の決意と行動--
を知って、今はこの映画を敬遠したことを深く恥じている(とはいえ、この映画、後でテレビで観たのだけれど、あまり関心した出来栄えじゃなかった)。

 神代辰巳前田陽一 も、そしてルキノ・ビスコンティ も亡くなる間際には車椅子に座った状態で「ヨーイ、スタート!」をかけたと言われるぐらいに、映画監督はとてもメガホンをとれる体調ではないにもかかわらず、重篤な病身を押して現場に出て指揮を執ったりする。その執念たるや、凄まじい。幽鬼のごとくである。
 
 『戦争と青春』を撮った時の今井正にも、まさにこの執念、いや戦争に対する怨念があったようである。
 封切時、この映画は全国系のメジャーな上映ルートには乗らず、地方の公民館とか市民ホールのような場所での公開だったので、今井監督は集客のために挨拶回りの地方行脚に出たのだが、その草加市でのキャンペーン中に倒れて、息を引き取った。


          享年79歳・・・まさに満身創痍の人生だった。


 今、国会で集団的自衛権を認める安保法案 (安全保障関連法案) が審議されている。
 もし今井監督が健在だったら、国会議事堂を取り巻く反対派のデモの人々の中に車椅子に乗ったその姿を拝めたかもしれない。                              〔続く〕 


            今井正
              今井 正   〔 1912 - 1991 〕


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映画ライター・高村英次、初の書き下ろし長編 『 ラストシーンの余韻 酒乱と失態、女難と頑迷、監督・溝口健二の狂おしき人生 』

高村英次

Author:高村英次
電子書籍版はアマゾン Kindleストア 及び 楽天ブックスから、紙の書籍版は製本直送.comより発売。直近の各コラムの末尾にある発売告知から販売サイトに遷移、またはポップアップ画面が出ますので、そこで購入できます。 

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