09/30のツイートまとめ

JAZZyaro

拙著『ラストシーンの余韻』再度の表紙改訂・・・ようやくマシなのになりました。 https://t.co/dOQcgy9gVS
09-30 23:34

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ある痛切 - 小津安二郎にドヤされた男 - <第12回>

◆ 粋で、お調子者で、シャレ男だった江戸っ子の本性


朝を呼ぶ口笛
▲ 『朝を呼ぶ口笛』(1962年・松竹)の吉永小百合(左) 監督:生駒千里
出典:YAHOO!ブログ「趣味の部屋」 http://blogs.yahoo.co.jp/xfdgm866/20556170.html


 また監督昇格と既得権廃止の時期はともかく、私が注目したのは高橋治が観察した生駒千里の人間性である。

 妙に江戸っ子を気取る男で、一見洒脱な言行で誰ともソツなくつき合う。
               (『人間ぱあてぃ』高橋治、講談社文庫)


 そう、生駒さんって明るくて、一見善い人に、話せる人に思えるんだ。ところが、私をイビリまくった前記の一件 (9月19日付け【ある痛切 <第6回>】) だけでなく、いつもどこか気取ってる風で、冷ややかな態度を見せる。いい人でもイヤな奴でも私の担当講師には違いないから、卒業制作の相談とか書いたシナリオのチェック、添削なんかについてはこの人から教えを請うことになるのだが、その度になんというのかな、コッチをナメきったというかバカにした態度で接してくる。先日、亡くなった大橋巨泉も江戸っ子で横柄だったけど、ああいう開けっぴろげで高圧的な嘲笑(あざけり)とは違う(アレも相当イヤだけどね。※)。もっと陰湿で根暗な感じなんだ。
 インテリ風の気取った感じ、尊大さ、あざ笑い・・・それは精神的なイジメに通じる。


  東京育ちのひ弱さを抱え込んでいて、強いものにはとことん立ち向かえないタイプ…(略)…。
 … 強いものには必要以上に媚びる例の男の性根 …(略)…。
                            (前掲書)


 コレもよく分かる、近くで見てたから。こういう、インテリ風を吹かせるヤツに限って、肝心な時に弱気になり、長いものに巻かれて迎合し、態度を曖昧にしてその場からいなくなる。私のような田舎出の、立場の弱い学生にはグイグイ突っこむけど、上の人にはてんで刃向かえない・・・そんなタイプであることは、教えを受けていた時からコッチも見抜いていた。  <続く>


※「大橋巨泉」 この人、先日亡くなったが、その「偲ぶ会」に集まった人達はホントは嫌いなくせに、みな故人をもちあげるような事を話してた(本当かね?)。私がこの人のことを「やっぱり、こんな男か・・・」と思ったのは青島幸男が書いた『蒼天に翔る』(新潮文庫)を読んだのと、小林信彦『テレビの黄金時代』(だと思ったが)の中で、放送局の控え室か食堂にいた青島さんを見かけた巨泉がぶしつけにもズカズカ近寄ってきて大声で、青島さんに向かって「おまえって本当にサルに似てるな」と〝サル〟を連発した件を読んだ時である。なんてイケ好かない野郎なんだ、と思ったもの。でもテレビ界、映画界によらず、こういう人って業界に多いんだよな。


『祇園の姉妹』や『浪華悲歌』で日本映画にリアリズムを打ち立て、『西鶴一代女』『雨月物語』などの名作を放った溝口健二の人生を、伊藤大輔・小津安二郎・黒澤明などのライバル監督&スタッフとの確執とともに描いた、
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ある痛切 - 小津安二郎にドヤされた男 - <第13回>

◆ 鼻につくインテリ作家、高橋治の重罪


絢爛たる影絵 小
▲ 『 絢爛たる影絵 小津安二郎 』 高橋治、岩波現代文庫
出典 : amazonプライム 


 だから、高橋治の一文を読んだ時、生駒さんのことが鮮やかに思い出された。
「あー、そうか、じゃあ、小津にドヤされた奴ってのは・・・」と一瞬でピンときた。調べてみたら、赤八会のひとりで、東京出身で・・・なぁるほどね、やっぱり、といった具合。
 それは大いなる発見であったから、本来ならその事に気付かせてくれた『人間ぱあてぃ』の著者、作家の高橋治に感謝しないといけないが、私は生駒さん同様、この高橋も嫌いである。

 当時、松竹大船で助監督をしていた高橋治は時折、小津作品に付いており、その思い出を交えて小津映画を鋭く論じた 『絢爛たる影絵』(岩波現代文庫) はいい本だが、わざと虚偽(ウソ、ツクリ)を書いて、要は〝脚色〟して面白くしている点で、映画本としては落第である。

   そう、自分でツクッてんですよね、逸話を(ツクるンじゃねーよ!)。

 晩年の小津の傍にいて、よーく現場を見ているにも関わらず、手前勝手に〝脚色〟された--判っててウソを書いた--んじゃ、その現場にいるはずもない映画ファン・小津ファンは、それがすなわち小津の本性か、と思ってしまうわけだから、そうした記述が1カ所でもある『絢爛たる影絵』は製作現場の小津安二郎の有り様を正確に捉えた記録(ノンフィクション)とは決して言えない。

 しかも、この本、直木賞の候補になったらしく、それを高橋治は喜びながらも、反面、ツクリがあるもんだから(後ろめたくて)、その言い訳を 『人間ぱあてぃ』 他で書いてんだ

 それがちょっとズルイっていうか ・・・ セコイんだよね。

 ツクリを書いて、そこがウケちゃったもんだから、後でその言い訳するってのは、映画の現場を踏んだ人間<カツドウヤ>の風上にも置けない行為だ。そのウケちゃった部分というのは、『絢爛たる影絵』の冒頭に出てくるのだが、それは実際に読んで確認してください。


 それはそうと、またある人たちはこう思うかも知れない。
 きっと私が生駒さんに学生時代に赤っ恥をかかされた経験があるから、それを根に持って、逆恨みでコレを書いてンだろうと ・・・ まあ、そう思われても仕方ない。
 でもアタシも五十路を過ぎたオッサンですよ。いつまでも若い時分のことを根に持つほどヒマじゃない。いや、大体、池袋駅で勧誘につかまった事なんてすっかり忘れていて、『人間ぱあてぃ』所収の「許せない男」の〝生駒素描〟を読んで思い出したくらいなんだ。この本を読まなきゃ、思い出すことなんかなかったし、正直、思い出したくもなかった。

 --とこういう点がこのコラムの第1回 (9月7日付け)で書いた、映画本を読んでると「たまに自分に関係してくる話題が出てきて戸惑うこともある」という部分なんである。 <続く>


『祇園の姉妹』や『浪華悲歌』で日本映画にリアリズムを打ち立て、『西鶴一代女』『雨月物語』などの名作を放った溝口健二の人生を、伊藤大輔・小津安二郎・黒澤明などのライバル監督&スタッフとの確執とともに描いた、
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ある痛切 - 小津安二郎にドヤされた男 -<第14回>

◆ 監督が助監督をドヤしつけるのはあたり前だが・・・

 また、こう思う人もいるかもしれない。
「いくら小津安二郎が名作をいくつも世に放った名匠で、当時の松竹では最ベテランの監督であったとしても、後輩の監督や新人監督、また部下の助監督などを叱ったり、意見したりすることはいくらもあっただろうから、小津さんから見れば弱輩も弱輩の生駒さんが監督会で叱責されたからって、ショックを受けたり、悄然としたりするのは少々オーバーなんじゃないか」--と。

 そうですね、そう考える人もいるでしょうね。
 実際に映画の現場、撮影中なんかはどの監督もピリついてるし、また準備の時に小道具に国宝級の書画や壺などを借りてこい、とか、犬や猫みたいな動物を捕まえてきて撮影中に放せ、なんて無理な注文を言いつけて、それが出来ないと満座の中でののしったり、島津保次郎なんか蹴り飛ばしたりブン殴ったりする。島津ならずとも、京都で時代劇を撮ってた日活(戦前、戦中)、マキノ、松竹あたりの撮影所でもそんな事は日常茶飯事、当たり前のようにあった。


溝口健二というおのこ 大
▲ 『溝口健二というおのこ』 津村秀夫、芳賀書房


 溝口健二なんて人はそういうムチャブリの権化のような監督で、拙著『ラストシーンの余韻』ではオミットしたがこういう話がある。
 溝口は泉鏡花原作で『瀧の白糸』(昭和8=1933年、入江プロ。配給・新興キネマ)を撮ったが、この映画のオープニングは、水芸の芸人・白糸(入江たか子)が乗り合い馬車に乗っていて、苦学生(岡田時彦、岡田茉莉子の父)が操っていたその馬車の車輪が脱落して走れなくなり、それを白糸が笑ったことから諍いとなり、苦学生は馬車を放り出して去ってしまう--というものだったが(それが二人の出会い、恋の始まり)、このファースト・シーンから回想に入るところで、溝口は白いイタチを走っている馬車の前に放って、横切るように走らせてみたい、ともうムチャブリの中のムチャブリといえる要求を言いだして、さんざん助監督を困らせた。

 イタチ、それも白いイタチなんてものは珍しくてそうはいない。イタチを捕まえること自体至難の技で、しかも捕まえたイタチを走る馬車前に放り投げてみたって、おそらくは思い通りのアクションを撮れるとは思えない。なのに溝口は強硬に「それをしたい」「それをヤリタイのだ」とゴネまくり、ヤレなきゃ映画は撮らない、とも言い出す・・・。今ならCGで出来るが、この当時(昭和8年)、本気でやるならもう特撮(合成)しかない。

 結局、イタチは見つからず、キツネかネコを白く塗って代わりにしようとか(そんなムチャな! そんな事したってイタチじゃないってすぐ判る!)、いろいろ模索したようだが、溝口監督の一声で中止になったとか(津村秀夫の『溝口健二という男』より、加筆)。

 そもそも、なんでイタチを横切らせたかったのか(おそらく悲恋に終わる白糸と苦学生の行く末を暗示したかったのだろうが)、その真意は不明である。

     ミゾサン、あんたナニがしたかったんや・・・?  <続く>


『祇園の姉妹』や『浪華悲歌』で日本映画にリアリズムを打ち立て、『西鶴一代女』『雨月物語』などの名作を放った溝口健二の人生を、伊藤大輔・小津安二郎・黒澤明などのライバル監督&スタッフとの確執とともに描いた、
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ある痛切 - 小津安二郎にドヤされた男 -<第15回>

◆ 誰もが小津を畏敬し、好きになる (1)


小津安二郎に憑かれた男 300
▲ 『小津安二郎に憑かれた男 美術監督・下河原友雄の生と死』 永井健児、フィルムアート社


 こうした無茶な要求、ムチャブリは大監督なら当たり前で、小津安二郎も自分の現場で助監督に無理を言っては右往左往させている。

 前に書名を上げた『小津安二郎に憑かれた男 美術監督・下河原友雄の生と死』(永井健児、フィルムアート社)には、著者の永井健児が新東宝で小津監督が撮った『宗方姉妹』(昭和25=1950年)で美術の下働きとして就いた時、ヒロイン(田中絹代)が経営する銀座のクラブ「アカシヤ」のセットのカウンターに「赤いコーヒーミルと電蓄を置きたい」と小津が注文したので、東京中かけずり回ってそれらを探し回った話が載っている。当時珍しかったコーヒーミルは、京橋の喫茶店で見つけ、電蓄も用意してセットに置いた。
 すると小津が、

「この電蓄、まずいなあ。低すぎて、カウンターと重なっちゃうと目立たない。もっと背の高いものに替えてくれ」

とNGを出した。永井は小津の描いたスケッチ(コンテ)通りの高さの電蓄(これステレオの事、念のため)を探してきたので、「これでいいハズです」と言って譲らず、小津に反抗した。助監督は慌てて、永井に別の電蓄を探してきてくれと拝んで頼んだが、若い永井は--

「僕は絶対に探しに出ません!」
 私は衝動的に言った。これまでうっ積していたさまざまな不満が急に膨張して、胸の底から一気に突きあげてきた。私は黙ってステージから出た。


 永井健児は小津の要求に従わず、やがて永井の抜けたセットでは、結局、永井の持ってきた電蓄で撮影が再開される(!)。このアカシアのセットで『宗方姉妹』の撮影は最後(最終シーン)であった(このクラブ「アカシア」のモデルは、当時、銀座で一番人気だったクラブ〝おそめ〟らしい)。

 その撮影終了後に永井は撮影所の本館前で、ばつの悪いことに小津と顔を合わせてしまう。

 しかし、白いピケ帽に白ワイシャツの腕をまくりあげた肩巾の広い小津の姿は、私にはわかった。
 自分の心臓の鼓動がはっきり聴こえてくるようだった。
(どうしよう、なんと言おう)小津たちは近づいて来た。
 私は小津を見上げ、「お疲れさまでした」とうわずった声をあげて頭を下げた。
 小津が顔をあげた私を、一瞬見おろしたが、すぐ横を向き、録音担当の神谷に何か声をかけた。神谷が小津に振り向いた時、彼の縁なしのメガネのレンズが薄暗い中でキラッと鋭く光った。
        (以上『小津安二郎に憑かれた男 美術監督・下河原友雄の生と死』
                                 永井健児、フィルムアート社)


 この時、小津は新しい電蓄を探して持ってくることを拒否した、つまりは自分の言うことを聞かなかった永井に何も言わなかった。いわば無視した形であったが、この翌年、永井は松竹・大船撮影所で小津と再会する。  <続く>


『祇園の姉妹』や『浪華悲歌』で日本映画にリアリズムを打ち立て、『西鶴一代女』『雨月物語』などの名作を放った溝口健二の人生を、伊藤大輔・小津安二郎・黒澤明などのライバル監督&スタッフとの確執とともに描いた、
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ある痛切 - 小津安二郎にドヤされた男 -<第16回>

◆ 誰もが小津を畏敬し、好きになる (2)


小津監督 大
▲ 小津安二郎監督(1961年6月、東宝本社にて)
出典:ウエブサイト「BOOK asahi.com」より「小津の食卓でバナメイエビを考える」
http://book.asahi.com/reviews/column/2013111500005.html


 『宗方姉妹』の現場で小津安二郎に逆らった下っ端の美術助手・永井健児は映画を離れて、以前やっていた店舗デザインの仕事に戻ったが、翌昭和26年(1951)年8月、海水浴で鎌倉・材木座海岸に行った折り、大船撮影所を訪ねる。そして『宗方姉妹』の時に世話になった小津組の美術監督・浜田辰雄に案内されて、『麦秋』(昭和26年・松竹)を撮影しているステージに連れて行かれる。そこには1年ぶりに聞く小津の声が響いていた。

 挨拶をしようと私が近寄ると、小津は私に気付いた瞬間、(おやっ?)といったけげんな顔をして私を見つめた。そのあとすぐにニタッとしてから、うしろにいた山本〔山本浩三、小津組助監督。渾名は俳号の〝青沈(せいちん)〟〕を振り返って大きな声を上げた。
「おい、〝青枕〟、ストライキのギラギラボク〔永井のこと〕が来たぜ」
 周囲にいたスタッフたちがいっせいに私に振り向いた。山本も私を見て笑顔をつくった。
「どうもご無沙汰しておりまして、お元気そうで何よりです。今日は、突然おじゃましまして……」
 私が挨拶すると、小津が目尻をさげて「よく来たな。元気だったかや。この間、下ちゃん〔『宗方姉妹』の美術監督・下河原友雄〕も来たよ。その時も、みんなでボクの話してたんだ」

 私は急に目頭が熱くなった。
「……先生、あの時は、電蓄なんかのことでご迷惑を……」

いんだいんだ。新東宝じゃあ楽しかったよ。いい思い出になった。ボクも、オレの若い時みたいにいい度胸してたぜ。それはそうと、今日はまさか、松竹へストライキをすすめに来たんじゃあねえだろうな」
 小津はおどけてみせた。…(略)…。
           (『小津安二郎に憑かれた男 美術監督・下河原友雄の生と死』
            永井健児、フィルムアート社) ※〔〕内&下線部、ジャズ野郎



 「別の電蓄をもってこい」という己の要求に逆らった、若輩の、どこぞの馬の骨といった程度の若者を、小津は「おおぉ、よく来た」と言わんばかりに歓迎したというこの件を読むと、私はいつも泣いてしまう。小津にそう言われた永井健児と同じよう、いやおそらく彼以上にオイオイと泣いてしまう。


 人を赦す小津の人間のデカさ、懐の深さ、優しさ、寛容さに打ちのめされるからである。


 〝オレのように心の狭い輩にはとても出来ないことだ。自分に刃向かった若輩を「あの時は楽しかったよ、ありがとう」などと言って笑って迎えたり、もてなすなんてことは・・・〟といつも思ってしまうし、そう思いながらまたオイオイ泣いちゃう。
 
 ボクも、オレの若い時みたいにいい度胸してたぜ。

 というのは、監督に昇進する前、小津は注文したカレーが先に頼んだ自分よりも位が上の監督(牛原虚彦)に配膳されたことに怒って、そのボーイをブン殴ったという逸話があり、若い頃は勝ち気で結構ヤンチャな御仁であった (2013年3月29日付け【野村芳亭、知られざる巨人 その11】 ◆ボーイを殴って監督になった小津安二郎 参照)

 そういうヤンチャな下地がありながら小津は若くして慎重居士といってもいいような落ち着きと威厳、そして茶目っ気(遊び心)を有した。
 若いことから老成していた、と言われている。 <続く>


『祇園の姉妹』や『浪華悲歌』で日本映画にリアリズムを打ち立て、『西鶴一代女』『雨月物語』などの名作を放った溝口健二の人生を、伊藤大輔・小津安二郎・黒澤明などのライバル監督&スタッフとの確執とともに描いた、
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ある痛切 - 小津安二郎にドヤされた男 -<第17回>

◆ 誰もが小津を畏敬し、好きになる (3)


浮草 大
▲ 『浮草』(1959・大映) 監督:小津安二郎
出典:ブログ「Room no. 1975」 http://room-no-1975.jugem.jp/?eid=584


 先に示した永井健二のエピソード以外にも、終戦の時、国策映画を撮るためにシンガポールにいた小津と撮影クルーの一行はそこで8月15日を迎え、やがて日本への帰還が始まろうという時、引揚船に乗る際に小津は 「オレは一番最後でいいよ」 といってスタッフに順番を譲り、彼らを先に船に乗せて日本に帰し、自分は言葉通り最後に帰ってきたという有名なエピソード。

 また戦後、大映で『浮草』 (昭和34=1959年)を撮る際にカメラ前に好きな赤い色のヤカンをオブジェとして置いたら、それを宮川一夫カメラマンにハケられた。普通なら「オレがそこに置いたンだ、そのままにしとけ!」と怒鳴りつけそうなものだが、カラーの発色が見た目通りの「赤」にならないと宮川に言われてあっさりヤカンを引っ込めた。そしてその夜、部下の宮川の部屋にやってきて「ライトの角度で色が変わることを初めて知ったよ」と謙虚に言い、小津は大監督らしからぬ真摯な姿を見せた。
 うるさ型の巨匠ならば、こんなふうに部下のキャメラマンに謝るような態度はとらないもので、自分が間違っていてもそのムリを通そうとするのが普通なのに、小津はそうした無理な要求をする時(『宗方姉妹』で永井健児にしたような)もあるが、謙虚に引き下がることも出来る人なのである。

 この『浮草』の時、出演者の若尾文子を気に入り、松竹に戻ってからも鎌倉の自邸に招いたり、出演作にアドバイスしたり・・・。いくら気に入ったからって、若尾は他社の女優だから本来なら助言する必要などないのだが--

若尾  …(略)…でも、ホンをもらったのは京都のホテルだから、なにか他のものを撮ってる時だったんでしょう。ただ京都にいるわけないもの。(『新源氏物語』でしょうか?) あっ、葵上をやってるんだ、森一生さんの。
 あれね、やるって言った時にね、小津先生がいいアドバイスをしてくだすったの。蓼科から電話をいただいたって、ほんとに? そんなに気に入られてた?(笑)。それでね、葵上やる時にね、若尾ちゃんね、こういうとこを気をつけてやるといいよって言われて、あっ、なるほどっていうことがあったの、ひとつね。それでやったわけ。呼吸なんですけどね。どんなことかは、言わない(笑)。やきもちでしょう、怨霊で、嫉妬に狂ってる。…(略)…
-  なんかいい話ですね。小津さんの人柄というか、他の監督の映画なのに仕事を離れて女優を見守るというのは。
若尾  そう。そうやって自分の持ってるものを後から来る者に教えていくっていうのはね。…(略)…。
             (『映画女優 若尾文子』四方田犬彦・斉藤綾子/編著、みすず書房)
                                  ※下線部、ジャズ野郎


 という具合に面倒見がいい。これでは人望が集まらないわけがない。


若尾文子
▲ 『浮草』の若尾文子
出典:ブログ「e-徒然草」 http://e-tsurezure.blog.so-net.ne.jp/2014-11-26


 こうしたいい話はもっともっとあって、書き切れないくらいだからこの辺にするけれど、この時代の小津安二郎はまさに日本映画界における〝心棒〟、動かしがたい存在だった。

 〝良心〟というより、何か事が起こったらその判断や裁定、意見を聞きたくなるような、心の拠り所

 そんな存在感や安心感が小津安二郎にはあったのである。

 わずかな期間、小津の助監督を勤めた今村昌平が当時の小津をこのように活写している。

 小津さんは落ち着いた貫禄ある中年紳士で、夏でも上等の英国製シャツのそでをまくって着ていた。ただ、温和さの中に近寄りがたい厳しさがあり、撮影所では天皇のような存在だった。そうなると、小津組にいるというだけでスタッフも所内では特別扱いであった。
               (『映画は狂気の旅である 私の履歴書』今村昌平、日本経済新聞社)

<続く>


『祇園の姉妹』や『浪華悲歌』で日本映画にリアリズムを打ち立て、『西鶴一代女』『雨月物語』などの名作を放った溝口健二の人生を、伊藤大輔・小津安二郎・黒澤明などのライバル監督&スタッフとの確執とともに描いた、
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ある痛切 - 小津安二郎にドヤされた男 -<第18回>

◆ 誰もが小津を畏敬し、好きになる (4)


小津安二郎 人と仕事
▲『小津安二郎 人と仕事』 小津安二郎 人と仕事刊行会、蛮友社
出典:ブログ「トトやんのすべて」 http://ameblo.jp/kusumimorikage/entry-12009867997.html


 小津の「小」の字も知らなかった中学生時代、つまり昭和50年代前半あたりから小津安二郎とその作品がやたらと持ち上げられるようになったと思うのだけれど、その頃から映画を見始めた私は夕刊の芸能面などで小津再評価の記事をよく目にした。それ以後、小津ブームはずっと続いていて、日本で下火になっても、例えば英国の映画雑誌が選んだ世界映画のベストワンに『東京物語』が選ばれるといった海外の評価や、日本でも昨年、原節子が亡くなって再びその出演作である小津作品に脚光が当たるというふうに、そのブームは衰えず、高まっては静まり、また高まるという具合に永続している。

 でも、20代、30代の頃の私にはそうした小津ブームは正直ウザイだけで、ほとんど興味はなく無関心であった。映画評論家の人達が高評し、その人となりや作品をもちあげる文章に触れても、

             「フン、小津安二郎がなんぼのもんじゃい」

というような感じで、識者が褒めれば褒めるほど反撥した。小津の日記などを引っ張り出して、ああだこうだと論じる向きには、「日記なんて読んでどうすんだ?」と極めて冷笑的であった。

 大学時代、下宿の近所の古ぼけた古本屋に、今なら喉から手が出るほど欲しくて、読みたくてたまらない小津文献 『小津安二郎 人と仕事』 という大著が棚に置かれていた。私は興味もないくせにその分厚い本をペラペラとめくり、しかしめくっただけで何が書いてあったのかは皆目分からず、買いもしなかった。

「分厚い本だなあ、これってきっとさる方面の人たちにとっちゃ、大事なモンなんだろーなあ。・・・でもこんなの、作ってどーすんの? 誰が買うの?」

 その時の私には、例えば小津と同じようにホームドラマを撮っていた成瀬巳喜男同様、小津安二郎はまったく興味のない映画作家であった。


 でも今は・・・いや、正直言うと、今でも小津の〝作品〟はどうでもいいのだ(なんて言うと、小津ファンからドヤされるだろうが)。いや、もちろん作品もいいのだが、私にはその作品よりも小津安二郎という人の、人柄、言動、態度がとても大事で、得がたいものに思われるのである。

 だから私より年上のベテランの映画評論家のセンセイたちが、あの頃(そして今に至るまで)ことあるごとに小津を持ち出してきて、小津、おず、オズ、OZU・・・と何かにつけて小津の人柄や作品を語ろうとしたり、その作品論、監督論、ひいては小津監督の日記、メモのたぐいまで引っ張り出して本にしたりすることの意味(気持ち)がようやく分かりかけてきた・・・今日のこの頃であります。 <続く>


『祇園の姉妹』や『浪華悲歌』で日本映画にリアリズムを打ち立て、『西鶴一代女』『雨月物語』などの名作を放った溝口健二の人生を、伊藤大輔・小津安二郎・黒澤明などのライバル監督&スタッフとの確執とともに描いた、
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ある痛切 - 小津安二郎にドヤされた男 -<第19回>

◆ 誰もが小津を畏敬し、好きになる (5)


小津の本 大
▲ 『小津安二郎全発言(1933~1945)』(泰流社)と『小津安二郎 戦後語録集成 昭和21(一九四六)年-昭和38(一九六三)年』(フィルムアート社)、編纂はともに田中真澄。


 昨年末から今年にかけて読んだ田中真澄さん編纂の『小津安二郎全発言(1933~1945)』(泰流社)『小津安二郎 戦後語録集成 昭和21(一九四六)年-昭和38(一九六三)年』(フィルムアート社)は、小津が自作を発表したその時々の感想とか演出意図、他作家への視線、政治・経済及び日常生活についての感慨が判ってとても面白かった(※1)。新聞や雑誌のインタビュー記事、記者がまとめた小津の撮影現場報告、その時に小津が語ったコメント、感想、感慨、夢、希望などなど。
 この2冊はちょうど戦前と戦後とに分かれていて、『小津安二郎全発言 -』には応召されて戦地を経巡った兵士・小津の様子も載っており、『小津安二郎 戦後語録集成 -』では日本に復員してからの小津の心境の変化なども判って、興味は尽きない。
 一読ではとても足りない労作です。私はこれを読みながら--

 小津はこの事件をどう思っただろう、とか、この作品について小津はどういう感想を持ったんだろう、好きかなあ? 嫌いなのかなあ? ということが無性に知りたくなった。そして同時に--


     この人のアタマ(感性)を通過した映画や本が何かを知りたくなるんだ。

     この人のココロ(情)に触れた人やモノ、事件に自分も触れてみたくなるのだ。


 小津の作る映画以上に、そのことの方が興味深く、それはすなわち小津安二郎という人間の内面を覗くことになる。覗いて〝見るもの〟がいっぱいあるような気がするんですよね、小津さんてのは。 <続く>


※1 『小津安二郎 戦後語録集成 昭和21(一九四六)年-昭和38(一九六三)年』に所収されている、以下のような小津の言葉が好きなんである。テレビの普及で映画が斜陽化してきた時に発したコメント。

・「昭和三七(一九六二)年  
 〝ストライク投げる〟/小津安二郎の『さんまの味』 例のような話だが」
より抜粋
                           
「テレビは茶の間でタダで見られるから、いわばアマチュア。だが映画は金を取って見せるのだからこれはプロですよ。自分がやりたいことをやるだけじゃだめで、客も楽しませなければいけない。つまり、ぎりぎりのストライクをほうらなくちゃね」

 だから黒沢明監督が『用心棒』『椿三十郎』をとった気持ちが、わかるというのだ。

「なにも黒沢が〝三十郎〟をやらなくても彼にはもっと彼らしい作品を出してほしい - そんなことを批評家たちはいうけれど、じゃあ、黒沢以外のだれが『用心棒』を作れるのかっていうわけだよ。…(略)…」

 と、後輩の黒澤明を応援するようなコメントをしている。こういう所がニクイ。
 このコメント(略、のところ)の続きで、小津は当時公開された大島渚が東映で撮った(大コケして二度と東映で撮れなくなっただけでなく、その後に大映で市川雷蔵・山本富士子主演で撮るハズずだった企画〔尼と野武士〕もポシャらせた、いわく付きの問題作)『天草四郎時貞』(昭和37=1962年)について触れている。興味のある人は原書をどーぞ。


『祇園の姉妹』や『浪華悲歌』で日本映画にリアリズムを打ち立て、『西鶴一代女』『雨月物語』などの名作を放った溝口健二の人生を、伊藤大輔・小津安二郎・黒澤明などのライバル監督&スタッフとの確執とともに描いた、
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ある痛切 - 小津安二郎にドヤされた男 -<第20回>

◆ 誰もが小津を畏敬し、好きになる (6)


茅ヶ崎館 大
▲ 現在の茅ヶ崎館(神奈川県)
出典:ブログ「Find Travel」より「貴重!文化財の名旅館5選」 http://find-travel.jp/article/17570


 というようなわけで、小津安二郎は大監督であるばかりでなく、〝常にそこにいてほしい〟というような徳の高い、映画界のご意見番であるのだが・・・これは公正を期すために書いておきたいのだが・・・ただのいい人、善人、聖者、何人を赦し、些末なトラブルを甘受するいい爺さん、温顔な大人というわけではない。
 片方にはそれとは真逆の、辛辣で、時には嫌みがましい毒舌を吐いて、若者に食ってかかるクソジジイといっていい、作家特有の邪悪な本性がある。

 先に、読む度にオイオイ泣いてしまうと書いた『小津安二郎に憑かれた男 美術監督・下河原友雄の生と死』の中盤は確かに涙を誘うよなイイ話だが(後半は下河原友雄の話になっていく)、前半にはそれこそ「このクソジジイめ!」と思えるような逸話が載っている。
 著者の永井健児が松竹の脚本家たちが、当時、シナリオ作成時の定宿としていた旅館・茅ヶ崎館にいる小津を訪ねた時のことである。永井は小津に会うのがこれが初めてで、映画好きの永井は最近観て感激した黒澤作品『酔いどれ天使』『野良犬』のことを小津に問われるまま蕩々と述べる。温顔で聞いている小津は、しかし内心では若いアンチャン(永井)がべた褒めする黒澤評(黒澤作品の高評価)が面白くない。

〔小津〕「ほう--、〝黒澤狂〟か。まあいいじゃあないか。ボク、黒澤のシャシンで一番いいと思ったのは何かね」
〔永井〕「はい、去年のはじめ頃までは、『酔いどれ天使』に感動していましたけど、『野良犬』を見てから、娯楽としても芸術性という面でもあれが黒澤の傑作だと思いました」
    …(略)…
 小津はアゴの下を手でつまむような仕草を続けながら、ニヤニヤして盃を口に運んでいた。野田〔野田高梧、小津とシナリオを共作する脚本家〕も、眼鏡の奥の目を細めて私を見えいる。
〔小津〕「具体的に、ボクは『野良犬』のどんなところに魅かれたのかな」
〔永井〕「--はい、まず、盗まれた自分の拳銃で犯罪が起きては困ると、それを探し出すべく犯人を追い求める兵隊服姿の若い刑事、三船(敏郎)の執念みたいなものが、油ぎってギラギラ観客に迫ってくるダイナミックさです」
〔小津〕「そうか。それから……」


 小津は永井をノセて、『野良犬』のいいところをどんどん言わせる。若いから褒められて嬉しくて、永井は持論を展開していく。巨匠の小津の前で、それを聞いてもらえるなんて夢のような話だし、小津自身がニコニコとそれを喜んで(ココがクセものなのだが)聞いてくれているから、舞い上がったような感じになる・・・永井さんならずとも映画ファンなら、この気分、判らないではない。
 同時に小津は自作の『晩春』(昭和24=1949年)はどうだったと聞き、〔松竹作品は木下惠介の『破壊』しか観ていなかった〕永井が観てないというと残念がり、黒澤を含めた東宝の作品についてしつこく質問した。永井が自分の『晩春』を観ていないと聞いた小津は--

「それは残念だなあ。永井評論が聴けないわけか。それはそうと、いつか見る機会もあるだろうが、わたしの作品はダイナミックじゃあないんだが、それでもいいのかなあ」
「ギラギラしていないってことですか」
    …(略)…。


 小津、下河原友雄、永井、野田高梧らの昼から続いた、きこしめしながらのダベリ会というか夕餉(というか晩酌、飲み会)に、松竹の脚本家・斎藤良輔が加わる。永井の『酔いどれ天使』評が続く。

「メタンガスが湧いているような水たまりがあって、近くに転がっているドラム缶からしみ出した油がどろんこ道や水たまりに浮かび、ギラギラしているような場末の……」
「またギラギラか。ボクは油ぎっているムードが余程好きなんだなあ」
「またギラギラってなんですか」
 斎藤が小津に訊く。
「いや、昼間『野良犬』の話の中で、太陽がギラギラとか、流れる汗がなんていろいろ出て来たんだ」
「なる程、〝ギラギラ青年〟ですね」
「うん。そこで下ちゃん〔下河原友雄〕がうまいことを言った。俺のシャシンは、ギラギラじゃなく、キラキラとね」
「うーん、なる程。トンカツより豆腐ってわけですね」
 斎藤のひと言で部屋の中に笑いがはじけた。…(略)…。



野田高梧と小津監督
▲ 茅ヶ崎館のお気に入り「二号室」で、野田高梧(右)とシナリオ執筆中の小津監督。
出典:Web版 有鄰(有隣堂) http://www.yurindo.co.jp/static/yurin/back/385_4.html


 この時の黒澤評から永井は小津達に〝ギラギラ(青年)〟と呼ばれるようになるのだが、この宴会、一見なごやかに見えるが、実は酒にまかせて、つまり酔ったフリをしながら、小津が若者の映画観、自分の作品への興味などを周到にチェックしていることがわかる。そのしたたかさ(貪欲さ、嫉妬!)・・・それがなんとも、私には恐ろしいものに思われる。

 小津ではなく他社の監督(黒澤)を褒めちぎった当の永井本人も、この時、そのことを感じていたようで-

 この日、小津は上機嫌のようだった。しかしあとから思えば、小津の目が心から笑っていないのを私はなんとなく感じていた。
 私の感じたことが現実になるのは、これから一ヵ月半位あとの京都ロケの時になる……。
             (以上『小津安二郎に憑かれた男 美術監督・下河原友雄の生と死』
              永井健児、フィルムアート社)    ※〔〕内、ジャズ野郎。


 この時、小津の内部にため込まれた鬱屈は、後に自作『宗方姉妹』の撮影に参加した永井に向かって、情け容赦なくをブチまけられるのであった(前に紹介した、電蓄を変えてくれ、の話)。 <続く>


『祇園の姉妹』や『浪華悲歌』で日本映画にリアリズムを打ち立て、『西鶴一代女』『雨月物語』などの名作を放った溝口健二の人生を、伊藤大輔・小津安二郎・黒澤明などのライバル監督&スタッフとの確執とともに描いた、
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ある痛切 - 小津安二郎にドヤされた男 -<第21回>

◆ 誰もが小津を畏敬し、好きになる (7)


東京物語演出中の小津
▲ 『東京物語』(昭和28=1953年・松竹)演出中の小津監督(中央)
出典:「信州とっておき情報」のHPより「小津安二郎記念 蓼科高原映画祭」
http://www.mtlabs.co.jp/shinshu/event/tatemovi.htm


 永井健児が小津監督に、当時、売り出し中の黒澤監督の作品評を喋らされた話は、臈長けた映画監督が若い映画ファンの青臭い感想やナマの意見をウンウンと心やすく聞いてくれた、などというイイ話ではなく、黒澤映画の傾向をすでに掴んでいて、それらの作品が描いている状況や指し示す方向にもうすうす気付いているベテラン監督が、面白がりながら〝解っていて、わざと訊いている〟というような底意地の悪い、もしくは強烈にイジワルな悪ふざけを素人相手にしている、といふうに私は見る。

         解っていて訊く、ってのは相当なワル、嫌みなジジイでっせ。

 そうしたしたたかな、いや悪辣な小津安というのが確実に存在するわけで、その好例としては『東京物語』(昭和28=1953年)の製作中、トイレで当時、助監督だった今村昌平臨終シーンの良否を尋ねた(というか、ほざいた)エピソードが決定的である。撮影中に今平さんは最愛の母を亡くしていた。


 その「東京物語」の撮影中の(昭和)28年10月19日に母・竹節〔たけよ〕を脳溢血で亡くした。…(略)…葬式を済ませ、しばらく休んでから撮影所へ戻ると、「東京物語」は画面に最後の音楽などを入れるダビング作業に入っていた。ちょうど東山千栄子演じる老母が脳溢血で倒れ、死ぬシーンが何度も何度も繰り返し映し出されている。大柄な東山さんに母の面影がだぶった。観ているのがつらくなって、たまらずトイレに立った。
 小便をしながら母を想って目を腫らしていると、隣にやってきた小津さんが

「どうだい、脳溢血で死ぬってのはあんなもんだろう」

と言う。私の泣き顔に自分の映画の迫真の力を確かめて、満足している風であった。
 「はあ、あんなもんです」。やっとの思いでそんな風に答えながら、私はこの世に映画監督ほど非情で恐ろしい人種はいないと思った。
               (『映画は狂気の旅である 私の履歴書』今村昌平、日本経済新聞社)
                                    ※〔〕内、ジャズ野郎。


 後に、その小津よりも〝非情で恐ろしい人種〟になる今村昌平を、親を亡くして失意の淵にいる彼を、さらにドン底に突き落とすような心ない言葉を小津はかけた。コレを呼んだ時は私も父を亡くした直後だったから、小津に対して「殺したろか?! この野郎!」とむやみに頭にきたものだが、それにしても、小津だって助監督の今村が母を亡くしたことくらいは知ってただろう。知っていたから「脳溢血で死ぬってのはあんなもんだろう」と訊いたのだ。
 小津のシンパなら、「それは小津さんの逆説的な優しさだよ」とか「わざとそう言って、逆に今平さんを慰めたんだ」なんてことを言うだろう。でも、正直、私なら例えそうであっても、その場で小津をぶん殴るか、小便くらい引っかけてやっただろう(といっても、実際にはトイレをそそくさと立ち去るぐらいの事しかできないだろうが)。

 しかし--小津はなんでそんなことを言ったんだろう。

 臨終シーンがうまい具合に撮れた高揚感からなのか。

  はたまた--

 落ち込んでる今平助監督をわざと怒らせて、モノ(映画)作りに向かわせようとしたのか。

 その真意は分からないけれど、いずれにしても映画ってのはこんなヤな思いをしてまで撮らなきゃいけないもんなんですかね。 <続く>


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ある痛切 - 小津安二郎にドヤされた男 -<第22回>

◆ 誰もが小津を畏敬し、好きになる (8)


小津監督のお墓 大
▲ 北鎌倉・円覚寺にある小津安二郎監督の墓。墓石に大きく「無」の一字はつとに有名。
撮影:Mike 


 私は小津監督に関する膨大な書物のうちの、まだそのほんの数冊を読んでいるに過ぎない。それも『ラストシーンの余韻』という溝口健二監督の評伝を書くために、溝口の周辺取材をする「ついで」に読んでただけなので、正確な小津安二郎像なんてものは見えていないし、だから書けない。

 ただ、それでもいろいろ目にしたり読んだりした話を自分なりに考え、分析し、推理していくとそれなりの小津像というものができあがってくる。もう、15年以上前になるけれど、北鎌倉は円覚寺にある小津監督の墓を訪ね、お参りしてもいるから、その時の記憶もちょっとある。だからかもしれないが、なんとなく「こういう人かなあ」という漠然としたイメージ--泰然とした大人(おとな)の像が浮かぶのである。

 ただ、そうした時でも、しばしばよく理解できない像が出てくる。

 例えば、小津安二郎がまだれっきとした巨匠となる前の昭和初期(それは小津作品がキネマ旬報のベストテンに3年連続で1位を獲得した、昭和7~9=1932~1934年より前 ※1)、小津の組に小川二郎というチーフ助監督が就いた。この男は当時売れていた松竹蒲田の脚本家・小川正の弟だったが、怠け者で仕事はいい加減で雑、おまけに素行も良くないという人物で、その下についた助監督たちはいつもウンザリする目に遭っていた(※2)。その時、小津組の一員で小川の許で働いた佐々木康〝ズーさん〟の愛称で知られる)は書いている。

 清水〔宏〕監督の書生として八カ月を過ごした私は、小津安二郎監督の助監督に付くことになった。…(略)…。そして、清水監督、小津監督以下には二人の助監督という決まりだった。…(略)…。
 なぜ、小津組に入ったのかと言うと、小津監督には助監督が一人しかいなかったのである。みんな小津さんの下で働きたいのだが、チーフ助監督の小川二郎という人物の評判がすこぶる悪く、その下に付こうという者がいなかった。そこで、小津監督が助監督として仕えたことのある大久保忠素製作部長と小津さんが責任を持つということで、私が小津組に行くことになった。…(略)…。
 私が初めて小津安二郎監督の助監督として付いたのは、高田稔、田中絹代主演の『大学は出たけれど』(昭和4年作品)という作品だった。…(略)…。


 佐々木以下、小津組の助監督たちは評判の悪い小川チーフに従ってなんとかやっていたが、『朗らかに歩め』という小津作品の時、ついにズーさんはキレる!

 『朗かに歩め』(昭和5年作品 小津安二郎監督)の撮影のときのことだ。小津監督から小道具を取ってくるように命じられた小川が、自分は座り込んだままさも監督であるかのような口調で「おい、佐々木、おまえ取ってこい」と言ったのである。ちょうど雨の日で、セットの中はあちこち雨漏りがしていた。小川はおろしたての雪駄をはいており、それを汚したくなかったのである。日頃から積もりに積もっていた小川に対する鬱憤が一気に爆発し、大森にあった下宿に帰ると、小川を嫌って小津組をやめた深田〔金之助〕という助監督を呼んで二人で焼酎をあおった。
「おれ〔佐々木〕は、まだ大学に籍がある。あんな奴の下で働くくらいなら、おれは会社をやめて大学に戻る」。
そんな気持ちだった。本当に、翌日から会社を休んだ。
        (以上(『楽天楽観 映画監督佐々木康』佐々木康・著、佐々木真・佐々木康子監修、
                            円尾敏郎・横山幸則・編集、ワイズ出版)



 おろしたばかりの雪駄を汚したくない、などという他愛のない小川のわがままに頭にきた佐々木康は、後(戦後)、共に東映に移って時代劇を撮ることになる深田金之助とやけ酒を呷り、サボタージュを決め込んで小津の現場をボイコットした。これで「松竹蒲田を辞めることになってもいいや!」と腹を決め、思い詰めたそれは彼の映画人生最大の危機であった。 <続く>

※1 「3年連続ベストテン1位」 その小津作品は、『生まれてはみたけれど』『出来ごころ』『浮草物語』。
※2 小川二郎については、2013年12月20日付け【日本映画奇人伝-映画界の色事師 <その1-3>】の◆希代のプレイボーイ 福田蘭童 <後篇>、にも記述あり。


『祇園の姉妹』や『浪華悲歌』で日本映画にリアリズムを打ち立て、『西鶴一代女』『雨月物語』などの名作を放った溝口健二の人生を、伊藤大輔・小津安二郎・黒澤明などのライバル監督&スタッフとの確執とともに描いた、
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10/25のツイートまとめ

JAZZyaro

日本シリーズ第3戦、大谷のさよならヒットまで放送してくれて、ありがとう! 報道ステーション|テレビ朝日 https://t.co/wIgSAnpASP
10-25 23:13

味はちょっぴりクールでシャープな甘さ、これまたクセになる。#もぎたて新鮮リンゴ飲んだらねhttps://t.co/UkMS53WQVt
10-25 20:59

リンゴのさわやかなイイ香りがサイコー!#もぎたて新鮮リンゴ香りはねhttps://t.co/UkMS53WQVt
10-25 20:59

ある痛切 - 小津安二郎にドヤされた男 -<第23回>

◆ 誰もが小津を畏敬し、好きになる (9)

楽天楽観
▲ 『楽天楽観 映画監督佐々木康』 佐々木康著、佐々木真・佐々木康子監修、円尾敏郎・横山幸則編集、
ワイズ出版  出典:amazonプライム


 怠惰な小川助監督に抗議する意味で現場をサボッた佐々木康を、小津は呼び戻す。

 三日後、小津監督から呼び出しがかかった。
「佐々木、おれの目は節穴じゃないぞ。小川が、おまえにつらく当たっているのは知ってるし、あいつの欠点もちゃんと見ている。明日から来て働け」
 という小津監督の一言で、私は危機を乗り切った。小津監督が呼び戻してくれなかったら、私のその後の映画人生はなかったと言っても過言ではない。
            (『楽天楽観 映画監督佐々木康』佐々木康・著、佐々木真・佐々木康子監修、
                            円尾敏郎・横山幸則・編集、ワイズ出版)


 これだけ読むと「さすが小津監督だ、怠惰な小川のことをちゃんと知ってて、しっかり仕事をしていた佐々木や深田のことを見ていたんだな」と思えるのだが、でも、では、なぜその時まで小川の性悪な行状を許していたのか? 黙って見ていたのか?

 小津安二郎は映画界入りする前、三重県松坂市の小学校で代用教員として働いていたことがある。つまり先生をしていたわけで、やんちゃ盛りの子供達一人一人と語らい、のびのび育てたようだが、同時に本性丸出しに行動する児童を通して、個々人の個性を見抜いたり、扱いづらい子供をどう導けばいいか、といったことに馴染んだと思われる。
 つまり人を見る目に長けており、その人の人柄から本性(小津流に言えば品性か)をたちまち見抜くような洞察力を持っていたハズである。


 そこで先に書いた私の疑問--〝(小津の)しばしばよく理解できない像〟が出てくる。

 それほどまでに人を見る目を持っていた小津なのに、なんで小川二郎などという不真面目なヘッポコ野郎を助監督として使っていたのか--理解できない像とはコレである。


 映画監督は自分の仕事が円滑に回るようにスタッフには優秀な人材を揃えたがるものである。中でも助監督、そのリーダーとして監督以上に現場を指揮し差配するチーフ助監督(ファースト)には特に優秀な人材を持ってくる。監督自身が撮影前の準備をすることもあるが、実際はそのイメージや絶対に用意してほしい人やアイテムをチーフ助監督に伝え、チーフはその命令をセカンド、サード以下の助監督におろして準備させ、セッティングが出来たら「監督、どーぞ」と受け渡す。
 だからチーフがバカだと現場は回らないわけである。
 もっと言うと、チーフ助監督というものは監督以上にクレバーで要領のいい、人間力のある人物でないと勤まらないわけであり、その映画をいい作品に仕上げたい、とか、撮影を効率よく予算内で納めたい、という場合にはチーフ助監督の優劣にそのすべてがかかってくる。

 そんな事は名監督たる小津安二郎なら百も承知のハズである。なのに、小川みたいなボンクラだめ男をチーフのままにして黙っている。黙って小川が部下の助監督を酷使しているのを黙認していた、というのはどうにも解せないわけである。
 事実、小津は佐々木康に言った上記のコメント--

 おれの目は節穴じゃないぞ。小川が、おまえにつらく当たっているのは知ってるし、あいつの欠点もちゃんと見ている。

--でも判るように、小川の怠惰や性悪ぶりをちゃんと見知っていた。それなのに、なんで黙~~って見てたの? 
 そういう不心得者が自分の組にいると、統制は乱れ、ひいては作品の出来に影響してくること必定なわけだから即刻クビにすべきだろう。小津監督はその頃はまだ大巨匠ってわけじゃなかったが、とはいっても一線級の監督だったのだから小川をすぐに切れたハズである。

 どうして小川の人間性を見抜いていながらクビにもせず、その下で働く佐々木康や深田金之助が泣き泣き仕事しているのを知っていながら、そのままにしていたのか?

 そこに小津のいやらしさ、抜け目のない観察者の目がある、と私は思う。

 つまり、「知ってて見ていた」わけだ。先に書いた、母を亡くした今村助監督に臨終シーンの出来を尋ねた「解っていて訊く」と同じ、それは嫌らしいほどにエゲツない、人使いの手なのではないか、と思うのである。  <続く>


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ある痛切 - 小津安二郎にドヤされた男 -<第24回>

◆ 誰もが小津を畏敬し、好きになる (10)

小津監督 小
▲ 小津安二郎監督
出典:ウェブサイト「LAUGHY」 http://laughy.jp/1407424474124190335


私が思う「小津のいやらしさ、抜け目のない観察者の目」というのは、こういうことである。

 自分の映画に、ダメ男、ダメ人間が出て来そうな時、この小川二郎の醜態を使うためにわざと〝自分の組で泳がせていた〟のではないだろうか。そして小川によって損な役回りを押しつけられている佐々木康や深田金之助といった周囲の人間の感情や動向を見、そこに巻き起こる葛藤や抗争を半ば(悪趣味にも)面白がって、半ば真面目に観察していた--ような気がするのである。

 ロールモデルを周囲に置く(身近で探す)、というのは、小津のみならず、溝口健二も内田吐夢も・・・と名だたる大監督がよく使う手である。周囲の人間の生態を実によく見、観察している。見てないようなフリをして、しっかり見ているのだから人が悪い。

 だから、優秀な映画監督ほど狡猾な人種(今村昌平の言う〝非情で恐ろしい人種〟)はいないのではないか--とも思うのです。

 戦前の松竹蒲田に入り、大部屋俳優から監督、そしてプロデューサーまで務めた苦労人、長島豊次郎が小津について語った、

        小津安二郎の一歩も自分のふところに寄せ付けない冷たさ

                (出典は長島豊治郎の私家版『わが道』で、小林久三の
                『日本映画を創った男 城戸四郎傳』〔人物往來社〕より引用、※)


 はそんな狡猾な小津安の人間像、作家像を見事に形容している。 <続く> 


※「長島豊次郎による松竹蒲田の監督評」 小津に続いて『わが道』には当時の監督たちの素描がこのように続く。
「小津安二郎の一歩も自分のふところに寄せ付けない冷たさ、気さくで誰にでも愛想のいい五所平之助の本音をださない老獪さ、島津保次郎の吝嗇(ケチ)からくる個人主義より、あけっぴろげで親分的な気質をもっている清水宏に近づく人が多かった。…略…」


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『 ラストシーンの余韻 』 発売中!
映画ライター・高村英次、初の書き下ろし長編 『 ラストシーンの余韻 酒乱と失態、女難と頑迷、監督・溝口健二の狂おしき人生 』

高村英次

Author:高村英次
電子書籍版はアマゾン Kindleストア 及び 楽天ブックスから、紙の書籍版は製本直送.comより発売。直近の各コラムの末尾にある発売告知から販売サイトに遷移、またはポップアップ画面が出ますので、そこで購入できます。 

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趣味:サイクリング&ウォーキング&クッキング、デジカメでの写真・動画撮影
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