日本の映画監督  監督志願者の〝傾向と対策〟

◆ アカい若者は撮影所を目指す <その4>

 山本青年から2度目の相談を受けた時(昭和7年秋)、伊藤大輔 は、同じ監督の内田吐夢や田坂具隆らとともに日活を辞めて 「新映画社」 という会社を作って、京都から東京に出てきていた(*1) 。伊藤の身辺は流動的であり、そんな時に「映画界に入れて下さい」と 山本薩夫 はやってきたのである。

「伊藤さんのところで、何とか映画の勉強をさせてください」
 しかし、私は伊藤さんに、やんわりと断られてしまった。映画の勉強をするなら、松竹か日活に入って勉強したほうがいい。自分のところは、いつつぶれるかわからない--というのである。それでは松竹か日活へ紹介してくれるのかというと、それもしてくれない。私はそのとき、ふっと「冷たいな」と思った。
                  (『山本薩夫 私の映画人生』山本薩夫、新日本出版社)


 「冷たい」ことは冷たかったかもしれないが、自分や「新映画社」の帰趨が定まらない状況で、前途ある青年を無責任に映画会社などに紹介することはできない、とする伊藤大輔の気持ちはよくわかる。 『忠治旅日記』三部作 が大ヒットし、〝時代劇監督〟としての名声が確立し、売れっ子監督になった頃、伊藤は当時の人気スター・ 片岡千恵蔵 から自分のプロダクション(千恵プロ)に来てくれ、と誘われるが、作品の撮影に入っているからそれは出来ないと拒否。その代わり、自分のところ(伊藤映画研究所)で助監督をしていた 稲垣浩 と脚本を書き始めていた 伊丹万作 の二人を、伊藤は千恵プロに推薦し、入社させている。
 この時、伊藤はこの二人が千恵蔵の期待に応える作品を作ることが出来なければ、腹を切って詫びるしかない、と思いつめたほどの責任感の強い男である。
 だから山本薩夫にも、この時、コネで業界に入れてやる、などということは出来なかったのだ。

 結局、山本薩夫は、大学を辞めた翌年の昭和8年(1933)4月に行われた 松竹の助監督試験 に受かって、その年の8月に蒲田撮影所に入所する。先に引用した伊藤の文では、

 そのYが、大学を出たとたん、松竹が助監督の募集を発表し、…(略)…かくてYは首尾良く松竹大船撮影所へ入ることが出来た…(略)…。
             (『時代映画の詩と真実』伊藤大輔/著、加藤泰/編、キネマ旬報社)


という具合に、大学を出たとたん松竹に入った、となっているのだが、山本薩夫が早稲田に在学していたのはたった1年。もちろん中退である。    〔続く〕






※1「新映画社」 この映画製作プロダクションは、日活を飛び出した監督の伊藤大輔、内田吐夢、村田実、田坂具隆、俳優の島耕二、小杉勇、事務方の芦田勝(蘆田勝との表記もある)の7人が発起人となって立ち上げたもので、そのきっかけは昭和7年(1932)に日活京都撮影所で起こったストライキである。経営が逼迫してきた日活が人員整理に踏み切り、撮影所の従業員200人を解雇する、と発表したことで、従業員側が抗議のストライキに突入。監督の伊藤や内田らは組合側(従業員側)の代表となって会社側と数度の折衝を繰り返したのだが、会社側の態度は硬く、なかなか妥協をみない。
 そこで伊藤達は交渉では会社に勝てないと悟り、交渉失敗の責任を取るために日活を辞める。辞めるだけでなく、即座に「新映画社」というプロダクションを立ち上げて、製作開始間もない東京・PCL撮影所(後の東宝)に走る。
 この2つの行動を同時に、しかも従業員には内緒で行ったため、伊藤ら7人は争議を放り出して脱走した〝裏切り者〟であると撮影所に残った者達に思われた。これを「七人組事件」という。
 7人の一人、村田実と親しかった森岩雄は、この時、PCLでの映画製作を仲介するように頼まれた。七人組が頼ってきた時、PCLでは提携しようとしていた日活に逃げられ、せっかく作った白亜のサウンド・ステージ(トーキー用)も使い手がなく、困っていた。森は自著で当時のことをこんな風に書いている。

 そこで困ったのはP・C・Lで、ステージまで作り上げて相手の日活に逃げられてしまっては、実写やニュースの仕事だけではとても商売にも何にもならなくなった。
 ところが、その日活の京都撮影所に争議が起り、現代劇部の有力な面々が大挙して辞職する騒ぎが起った。当時〝七人組〟といわれた連中で、村田実・伊藤大輔・田坂具隆・内田吐夢の監督に、小杉勇・島耕二の俳優、それに事務の芦田勝であった。しかも脱退したのはこの七人ばかりでなく、技術その他の大勢の人々がいた。かれらは打ち揃って永年住み馴れた京都を棄てて東京に大挙上京して来た。たしか芝口あたりの旅館が本拠になっていたと思う。
 この京都の騒動については、私は何も知らなかったが、ある日、村田実が訪ねて来て委細の話をし、P・C・Lの植村泰二〔PCL社長〕ともある程度の話がまとまっていたが、……なんとか助力してくれないかということであった。…(略)…。

 七人組は私を同人に加えて、代表者となって交渉してくれと頼まれたが、私は京都脱退組には何の関係もなく、まったく村田さんの依頼と友人たちのために仲介の労は惜しまないが、同人になることは断り…(略)…。
 結局、P・C・L側は…(略)…永久のこととせず、とりあえず一作品だけ七人組に製作する経済的援助をしようということになった。但し、出資した金の責任は森岩雄、君が背負ってくれということであった。これには私も弱ったが、行きがかり上しようがなく承知して、白亜の殿堂たるステージを使って、七人組は「昭和新撰組」というメロドラマを作った。商売は引きうける会社がないので、中央映画社でやることになり、S・Pチェ-ン(松竹・パラマウント・チェーン)に封切ることもきめた。
 「昭和新選組」は昭和七年十二月、帝国劇場で封切、全国に配給されたが、成績は必ずしてもよくはなかった。…(略)…。

 …(略)…七人組はその後、請負の形で藤原義江主演の「叫ぶ亜細亜」を作った後、かれらの作った〝新映画社〟は解体し、ちりぢりになってしまった。
                 (『私の藝界遍歴』森岩雄、青蛙房) ※〔〕内、ジャズ野郎註。


 結局、伊藤らの「新映画社」は1年ももたず解散となり、伊藤大輔、内田吐夢、田坂具隆らはおん出た日活京都に何事もなかったかのように復帰していくのである(!)。


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