松竹“昭和29年組”の栄光

 先のコラムの「大島渚もまた死す…」というタイトルは フリッツ・ラング 監督の反ナチ映画 『死刑執行人もまた死す』 (1943年・アメリカ)からのイタダキですが、まさに大島渚は日本映画界における 死刑執行人 だったと思います。

 彼が『青春残酷物語』や『日本の夜と霧』でもって日本映画の既成概念をブチ破った事もそうだし、そのトンガッた勢いのまま、
松竹大船では 渋谷実と野村芳太郎、小林正樹以外の監督はいらない、 と発言して物議を醸した事、
『日本の夜と霧』上映中止に抗議して松竹を退社し、自社プロ 「創造社」 で自分の主張&理想に沿った映画作りを展開した事などはすべて、
旧弊なる日本映画界に鉄槌を下すが如きの所行であって、まさに“死刑執行”といえましょう。
 大胆な大島さんはちょっと日本人の枠に収まらないような傍若無人さと先見性で、当初から意図的に世界進出を見据えていたと思われます。

 昭和30年代後半あたりから、松竹ヌーベルバーグに限らず、羽仁進勅使河原宏 など先進的な映画作家がぞろぞろ出てくるけれども、おそらく真の意味でインターナショナルな映画作家だったといえるのは大島渚だけだったのではないでしょうか。

 もっともベテラン監督批判の時には、他の大船の監督達から傲然たる非難を浴びて謝罪しています。元松竹プロデューサー・升本喜年の著書 『松竹映画の栄光と崩壊 大船の時代』(平凡社) に当時の様子が書いてあります。

 大島の大胆な発言が目立った。大島は松竹の幹部の無能ぶりを、徹底的にこきおろしただけでなく、若い世代から遊離してしまった「巨匠」と呼ばれる松竹の監督たちを、ボロクソに言った。それらの監督たちを追放することが、松竹の急務だとし、「百歩ゆずっても」と前置きし、渋谷實、野村芳太郎、小林正樹ぐらいを残し、あとの名監督たちはいらないと言いきった。記者の筆が少し滑りすぎたせいもあり、誤り伝えられたとして、大島が、会社に謝罪文をとられたということもあったが、その後、「百歩ゆずって」という言葉が、撮影所のなかで流行した。

 『日本の夜と霧』 問題で大島さんが松竹を退社するのが昭和35年(1960)、“松竹の良心”と言われた小津安二郎監督が亡くなるのはその3年後の、ジャズ野郎が生まれたのと同じ 昭和38年(1963) 。ということは、大島さんは松竹在籍時にベテラン批判をした事になる。退社した後だったら謝罪文をとらされることもないでしょう。
 つまり何を言いたいかというと、あの小津安二郎が元気であった頃にそれを言った事が、凄い、ってわけです。見上げた度胸です。

 先のコラムで大島さんと同期入社の山田洋次監督の事にふれましたが、その昭和29年(1954)春に大船撮影所に入社したのは次の10名。

 山田洋次(東大)、大島渚(京大)、川辺和人(一橋大)、稲垣公一(東大)、不破三雄(京大)、佐藤慶松(東大)、宮川昭司(早大)、小出龍夫(早大)、及川満(立教大)、田中淳剛(慶大)。
 入社の成績は、大島が一番、川辺が二番であったが、山田は、三名の補欠の一人であった。山田が補欠になったのは、成績というより、身体検査の結果だったといわれる。
 補欠のなかの他の一名は、浦山桐郎であった。…(略)…補欠三名のうち、あぶれた一名が、浦山桐郎だった。浦山は、大船から日活へ移った西河克巳に相談に行き、その紹介で、日活へ入っ た。  (前掲書)


 というわけで、この時、山田洋次とともに後に 『キューポラのある街』 (1962年) 『わたしが棄てた女』(1969年)を撮る 浦山桐郎 も入社試験に落ちていた! しかも山田さんは再度採用されて松竹に入ったが、浦さん(浦山監督の渾名)は日活へ行き、今村昌平の助監督について薫陶を受ける・・・いやはや、『ゴジラ』と『七人の侍』の年、昭和29年の松竹大船は物凄い人材を集めていたものです。

 升本本では、松竹を落ちた浦さんは西河監督を通じて日活に入った、と書かれていますが、大船撮影所に助監督試験の合否発表を見に行った浦さんは、自分の名前が掲示板にないのを知るとガックリし泣き崩れていた。するとそこを通りかかった今村監督の奥さん(昭子さん)と 鈴木清太郎 助監督(のちの鈴木清順)に慰められ、
「日活でも採用試験があるようだから受けてみれば」と勧められ、
それで日活入りしたという話もあります(『映画は狂気の旅である』今村昌平、日本経済新聞)

 日活入りした浦さんは西河監督の組につきますが、そこで“天敵”のチーフ助監督・中平康(この人も異才ですよね)の壮絶な苛めに遭う……と、この話の続きはまたいつか。

 この昭和29年入社組の大島渚、田中淳剛に、吉田喜重、後に作家になる高橋治、大島映画の脚本家で大島組以外でも健筆を振るった田村孟、上村力、斎藤正夫といった当時助監督だった面々が加わって『七人』というシナリオ集が出され、いわば大船の若き“七人の侍”による<アンチ大船調>的活動が精力的に行われていった。

 この中の 上村力(かみむら・つとむ) は、後に監督からプロデューサーに転向するのですが、山田洋次監督がシナリオを担当したテレビ・ドラマ『男はつらいよ』(フジテレビ)を映画化する際に最も尽力したのがこの人。
 この映画化が立ち上がった時、松竹のドン、いや日本映画のドンでもある松竹社長の 城戸四郎 が、
「テレビでやったものを何も映画でやることはない」
と言って反対した。
 『男はつらいよ』までに山田監督が作った数本の喜劇映画は興行的に振るわないものが多く、何かの折に山田さんがそのことを城戸社長に詫びたら、

「それは君が悪いんじゃない。宣伝が悪いんだ。だからもっと頑張れ!」

と言って励ましたという。城戸は、世間が山田喜劇を迎え入れる前から一貫して山田監督を支持してきたのだ。なのに『男はつらいよ』はダメだという。
 城戸が映画化を拒んだのは、映画業界を斜陽においやったテレビへの嫌悪感か、もしくはテレビを「電気紙芝居」と呼んでバカにしてきたカツドウヤ気質ゆえなのか。その両方ではないかと思うけれども、危うく映画化がお流れになりかけた時、
「この企画は当たるから、山田に撮らせてくれ」と身体を張って言い続けたのが上村プロデューサーであった。
 結果、松竹はこの『男はつらいよ』で30年以上も食い繋いでいく。

上村力は山田洋次と同期であり、よって大島渚とも同期であり、松竹大船を落ちて日活に行った浦山桐郎とも同期である。この 昭和29年組 はなんという人材の宝庫であったことか。

 こうした有能なカツドウヤ(映画人)の予備軍たる人々はどこに行ってしまったんですかね? みんなIT企業かネット(ゲーム)会社、お笑い芸人になっちゃってるんですかね。


< 『祇園の姉妹』や『浪華悲歌』で日本映画にリアリズムを打ち立て、
  『西鶴一代女』『雨月物語』などの名作を放った溝口健二の人生を、
  伊藤大輔・小津安二郎・黒澤明などのライバル監督&スタッフとの
  確執とともに描いた、
        『 ラストシーンの余韻 』 〔電子書籍版〕、
                アマゾンkindleストアから発売中! >


スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

The Food Court ♪

いっぱい食べるキミが好き~ ♪♪♪

SPORTS & CASUALS ♪

いっぱい遊ぶキミが好き~♪♪♪

お役立ちエリア ♪

ナイスな便利グッズ&サービスをご提供!

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

Powered By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

『 ラストシーンの余韻 』 発売中!
映画ライター・高村英次、初の書き下ろし長編 『 ラストシーンの余韻 酒乱と失態、女難と頑迷、監督・溝口健二の狂おしき人生 』

高村英次

Author:高村英次
電子書籍版はアマゾン Kindleストア 及び 楽天ブックスから、紙の書籍版は製本直送.comより発売。直近の各コラムの末尾にある発売告知から販売サイトに遷移、またはポップアップ画面が出ますので、そこで購入できます。 

< プロフィール >
血液型:A型
趣味:サイクリング&ウォーキング&クッキング、デジカメでの写真・動画撮影
好きな場所:札幌ドーム、中島公園、中央図書館、豊平川
好物:コーヒー、ジンギスカン、スープカレー、ラーメン、「ロイズ」のソフトクリーム、「シャトレーゼ」のアイスバー・ピュルテ(塩キャラメル味)、びっくりドンキー、はま寿司、セイコーマート

My Blog Visitors
CAT TIME !
Calendar

Le TAO ♪
春の光だ、マチに飛び出せ! ・・・ ルタオです ♪♪♪
FC2 ブログランキング
FC2 Blog Ranking
[ジャンルランキング]
映画
443位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
邦画
17位
アクセスランキングを見る>>
リンク
最新記事
松尾ジンギスカン ♪
北海道の郷土料理にしてベスト!
カテゴリ
月別アーカイブ
リーズナブルな旅をご案内 ♪
書を捨てよ、旅へ出よう~ ♪
Amazon DVD RANKING
イチバン人気の映画をチェック!
検索フォーム
最新コメント
MAIL BOX
名前はハンドル名でOK、文面は公開しないので、お気軽に!

名前:
メール:
件名:
本文:

最新トラックバック
QRコード
QR