虹を掴みそこねた勝新

 とにかく大島渚は映画にとどまらず、国内外の政治から社会問題、またそれらを討論するテレビ番組、サブ・カルチュアと何にでも首をつっこみ、イイ所だけ取り入れて、最終的には自分の表現手段である映画に昇華するという人であったけれども、それだけにトラブルも絶えなかった。先のコラムに書いた松竹大船撮影所のベテラン監督批判もそうだし、そのずっと後、結婚30年を記念するパーティでの 野坂昭如との大喧嘩 (ワイドショーの追悼コーナーではこの映像と『戦メリ』と『愛のコリーダ』と同作で助監督を務めた 崔洋一 監督ばっかし、でしたな)もそう。

 で、ジャズ野郎は知らなかったが、1月17日付けの東京スポーツには勝新太郎と揉めた話が紹介されていた。『戦場のメリークリスマス』(日英合作、1983年)映画化の際、 ビートたけし が演じた、捕虜収容所で敵兵をシゴキ倒す原軍曹役(自作・他作を通じて、たけし生涯の当り役)はもともと 勝新太郎 が予定されていたという。それが-

 …(略)…脚本を入手した勝新が書き換えを要求してお流れになったという逸話がある。後に「原軍曹=たけし以外にこの映画はなかった」と振り返った大島監督。結果として、たけしは勝新の「代役」ではなく「必然」。これが後の巨匠・北野武誕生のきっかけともなった。 (「東京スポーツ」2013年1月17日)

これを読んで「ああなるほど、それでか」とピンときた。確か、この頃、勝新は大島さんがテレビに和服姿で出演すると、
「着流しでくるな、ちゃんと袴を履け」
と怒っていたっけ。あれはこれが遠因だったのか。東スポにこうある。

 また、大島監督はその後も勝新との“確執”があった。ワイドショーでコカイン事件を起こした勝新を批判。対する勝新は大島監督の着流し姿を雑誌インタビューでバッサリ斬った。(前掲紙) 

東スポによれば、大島監督は勝新との確執を問いただす記者を「うるさい!」と例の調子で恫喝したが、その後、勝新が亡くなった時には
「本当の、本物の大役者だった」(前掲紙)
と語ったというから、勝新の役者としての力量は認めていたのだ。

 ことほどさように、勝新太郎は因果な役者である。彼の演技者としての凄さは、大島監督ならずとも衆目が認めるところだ。あの黒澤監督もそれを認めていたからこそ 『影武者』(黒澤プロ=東宝映画、1980年) にオファーした。なのに撮影現場でビデオカメラを回す、回さないで対立し、映画を降板することになる。これは当時、ドエライ大事件として連日報道されたものだった。
 ところがその『影武者』がカンヌ映画祭でグランプリを受賞する。主役で出るはずだった勝新の代わりに、現地カンヌでは代役を務めた 仲代達矢 が黒澤監督とともにニコヤカに手を振った。

 一方、勝はといえば、その翌年(1981年)、自身のプロダクション「勝プロ」が倒産の憂き目にあう。

 勝の出演がなしになった『戦場のメリークリスマス』もその年(1983年)のカンヌ映画祭には出品され、受賞こそならなかったが(グランプリはあの今村昌平の 『楢山節考』 )、大ヒットして、当時やや人気が下降気味だったといわれるデビッド・ボウイを復活させ、「たけし」(戦メリ出演時のビートたけしのクレジット)を世界に紹介し、 坂本龍一 のテーマ曲にいたっては当時、大大ヒットして、最近でも若手のミュージシャンがカバーするほどである。つまり最高にエポック・メーキングな映画となった。そんな美味しい作品を脚本に口を出して降ろされるとは……。

 ツキがない、のではない。自分でツキを手放しているのだ。映像やストーリーのイメージが絶えずわき上がってきて、それに夢中になると自分を抑えられなくなって、他人の映画をも「俺のシャシン」にしてしまう。

 勝新は、おそらく「監督」をしてはいけない俳優だったのだろう。なまじメガホンを執って演出する面白さを知ってしまったがゆえに、一役者としてスクリーンに出るだけでは我慢できなくなった。

 それが彼の悲劇でなくて、なんであるか。

 なぜなら、勝新は『影武者』や『戦メリ』以外にも自分のエゴでもって映画化が潰れたり、出演できなくなった企画がゴマンとある。大島渚とも『戦メリ』以前、勝がまだ大映のスター時代に 『ゴキブリ 』という題名の映画を撮る企画があった。
 この『ゴキブリ』は W・S・バンダイク 監督による 『マンハッタン・メロドラマ』 (昭和9=1934年、アメリカ)にヒントを得て大島渚がシノプシスを書いたものだが(後に公開された石原プロ製作・東宝配給による渡哲也主演作 『ゴキブリ刑事』『ザ・ゴキブリ』とは違うようだ)、実は大島は『ゴキブリ』より先に自身の大映第1作として 山本富士子 主演で 『尼と野武士』 という時代劇を撮るのが本決まりになっていた。
 ところが、この時、大島が直前に東映で撮った 『天草四郎時貞』 (昭和37=1962年)が大コケして、『尼と野武士』はもちろん、彼が大映で撮る話自体が消滅してしまう。大島さんもこの頃は案外ツイてない……。
 だから『ゴキブリ』の頓挫は、勝の責任ではないが、『戦メリ』の後、オーストラリアの全面協力で 『日本人捕虜大脱走』 という大規模な戦争アクションの企画が実現化しそうだったのに、勝新の“独断専行”のおかげでオジャンになったという。

 このことは昨年亡くなった 堀川弘通 監督の名著 『評伝・黒澤明』 にも紹介されている。これは太平洋戦争中、オーストラリア奥地のカウラ捕虜収容所で日本人捕虜が大量脱走した事件を題材にしたもので、堀川監督も勝と同じ事件を扱った企画を温めており、映画化に動いたが、オーストラリアの製作者と折り合わずに断念した。
 一方、勝新は-

 勝側はこの事件を中心にした話で『日本人捕虜大脱走』(仮題)という、シナリオ(尾中一脚本)も作った。そしてオーストラリア側と協議したが、勝はオーストラリアでも羽目を外しすぎて先方の信用を失い、ついに実現を見なかった。     (『評伝・黒澤明』堀川弘通、毎日新聞社)

 この頃、1986、87年(昭和61、62年)だったと思うが、テレビの制作会社にいたジャズ野郎の知り合いが、ロケ取材のためにオーストリアに行った時、日本の俳優で勝新太郎というのが現地(の業界内)で物凄く嫌われている、という話を伝え聞いた。
「何で嫌われてんの?」と問うと、知り合いが言うには、
「なんでもオーストラリアで映画を撮るからと、政府を始め協賛してくれる企業から製作費を出させたのに、何も撮らずに日本へ帰ったんだって」
 どうも引き出した製作費でドンチャカやりまくって、製作費を蕩尽してしまったらしい……これを普通、世間では“詐欺”と呼ぶが、映画界にはよくある話だ。
 この話は『日本人捕虜大脱走』の事だろう、とジャズ野郎は信じているのだが、自分を大スターだと思って自惚れている勝新にとっては映画の頓挫などよくある話だし、
「俺が映画を撮ろうと思って、その準備でかかった金なんだから無駄遣いじゃない」
などと嘯いたのかもしれない。だがそこは日本ではなくオーストラリアだ、そんな言い訳は通用しない。

 結局、『影武者』『戦メリ』降板、勝プロ倒産、『日本人捕虜大脱走』中止以降の勝新の人生に善いことはひとつもない。勝新自身が監督を務めていた『座頭市』(三倶=勝プロ、1989年)撮影中に、息子の俳優が真剣で殺陣師を斬り死亡させる事故を起こし、その翌年、今度は自分が 麻薬所持容疑で逮捕 され(マリファナとコカインが、なぜか俺のバンツに入ってた、と苦しい言い訳!)、ハワイから強制送還される(1990年1月)。幸いにも『座頭市』はヒットし、その続篇を作るに当たって、勝側は脚本を『座頭市』の第1作(1962年・大映)を手掛けシリーズの全体像を作った 犬塚稔 に頼むが、ココでまた揉め、 「勝が脚本料を支払わない」 と犬塚に訴えられる。
 そうこうしているうちにガンに罹ってしまうのだが、「スター勝新」のイメージを壊したくなかったのか、医者から禁じられているタバコをその病状発表の記者会見で吸ったりする始末。
 その居直った態度は「勝新」という虚像を演じていることが見え見えだっただけに、何やら哀しかった。

 言っても詮ないことだけど、あの時--黒澤監督に刃向かわず、大島監督に文句を言わず、一俳優に徹して両作品に出ていれば、勝新はそれこそ国際的な映画スターになっていただろう。今で云えばシュワルツェネッガーとブルース・ウィルスを足し、さらに繊細な内面演技も出来る、類稀な演技派のアクション・スターに……。亡くなる時には、ハリウッドに買った豪邸の、虹が架かったプールサイドのビーチチェアかなんかに寝そべって、優雅に息を引き取る、なんて姿もあったはず。そう、虹を掴めたに違いない。

 勝の命はガンよりも、その心に巣くった勘気の虫が奪ってしまったのだ。

 ジャズ野郎はいつも思う--結局、勝新太郎は同じ大映で活躍し、 『悪名』シリーズ でコンビを組んだ 田宮二郎 と同じスター人生を生きたんだと。

 日本のハワード・ヒューズになる、 と息巻いて、ヤバい詐欺団に騙され、莫大な借金を負って自らの命を絶った田宮二郎。田宮は大映時代、出演映画 『不信のとき』 (今井正監督・大映、1968年)のポスターに刷られた自分の名前の順番(序列)を上位にしてほしいと上層部に申し入れて、永田雅一社長の逆鱗に触れ、大映退社を余儀なくされて、一時期、芸能界から干された。約1年半ほどでスクリーンにカムバックできたが、起業熱にとらわれ、そこを詐欺師に突かれて、猟銃自殺する末期に追いやられた。

 勝新は自殺こそしなかったが、黒澤・大島との衝突以後、田宮同様の低空飛行を余儀なくされ、ディナーショウで歌ったり、チョイ役で映画やテレビに出た(テレビドラマに出た際も、脚本を大幅に直して制作サイドを慌てさせる事しばし、であった)。そんな状態でも映画を撮ることに燃え、頭の中で“空中楼閣”を描いていた。そこには、いつかデッカい映画を撮って黒澤や大島、世間を見返してやるんだ、という想いがあったに違いない。

 勝新太郎と田宮二郎--デッカイを夢を描き、挫折した、本当は小心な気のいい男二人が初共演したのが『悪名』(大映、1961年)である。勝新と田宮は兄貴とその子分に扮し、このコンビでのシリーズは1968年(『悪名十八番』)まで続くが、劇中、互いに相手より目立とうとする“オレが、オレが”の芝居もあらばこそ、なんとも無邪気な表情でスクリーンをヤンチャに暴れまわる・・・その後の二人の人生を思うと、なんというか、笑えるシーンでも泣けてきちゃうのです。


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