緊急寄稿 三國連太郎 <後篇>

◆ 三國を許した木下惠介の寛容さ

 その大胆不敵とも傲岸不遜とも思える役者としての態度に圧倒されるとともに、ジャズ野郎は三國のそういった役者魂を知れば知るほど、ある事が気にかかっていた。つまり、三國と木下惠介監督との関係である。
 三國は、木下監督の大抜擢で映画&俳優デビューを飾ったわけであり、その映画『善魔』(昭和26=1951年)では大スターの森雅之と淡島千景を従えて堂々の主役である。木下監督に、もう、これ以上ないというほどの晴れがましい映画人生のスタートを切らせてもらった恩を忘れて、三國は東宝へ走ったのだ。それを聞いた木下監督は激怒した、とも言われているが、普通であれば、こんなことをした後は木下作品はおろか、松竹の映画には出演できないはずである。

 ところが三國は、松竹大船を飛び出してからたった7年目にして 『欲』 (昭和33=1958年、五所平之助監督)で松竹(京都)の作品に移籍騒動後初出演し、その翌年にはもう木下作品の 『今日もまたかくてありなん』 (昭和34年・松竹大船)に出ているのだ! この時、木下恵介は三國にどういう具合に応対したのか? 『三國連太郎の「あなたがいたから」』(主婦と生活社) にこうある。

 一九五一年(昭和26年)に『カルメン故郷に帰る』を発表したあと、松竹は木下監督に八ヶ月のパリ遊学というご褒美をあたえた。…(略)…。
 東宝への移籍騒動はその間の出来事だったから、三國さんは木下さんに断りなく松竹を辞めたことになる。
 しばらく後のこと、三國さんは久しぶりに大船撮影所を訪れた。食堂で行き会ったのは、木下監督。向こうから寄って来ると、三國さんにこう言った。
「わかってんのよ」
 その短い言葉だけで、木下監督の言わんとすることが三國さんには理解できたという。
「『仕事を選択して、いろんな監督と一緒にやるのは、良いことだよ』。それが『わかってんのよ』という短い言葉に籠められた意味でした」
…(略)…。
 ところがあんなに迷惑をかけて、何も言わずに松竹を辞めたのに、その後、僕のところへ電話をかけてきたり、銀座へ出てくると『一緒にご飯を食べよう』って声を掛けてくれたりしてね。会ってもニコニコして、『元気?』なんて言うだけ。自分が迷惑を被ったなんてこと、顔色にも出さなかったですね」


 木下監督は自分を裏切った形の三國を責めずに許し、それどころかその後も食事をしたりして、その交流は木下の死まで続いた。という。〝わかってんのよ〟とその語尾がオネエ(言葉)なのは、“知る人ぞ知る”だから言ってしまうが、木下監督はゲイなのである。木下は助監督を育て上げて一流の監督にした名伯楽であるが、その門下生たる大船の助監督たちはみな育ちのいいハンサム・ボーイであった(小林正樹川頭義郎松山善三山田太一ら)。イイ男を侍らせておくのが好きな木下監督だから、自分を裏切った三國を許した裏には彼に〝気があった〟のかも、などと勘ぐらないでもないが、それにしても、
〝わかってんのよ〟という一言で、すべてを水に流した木下監督という人は凄い人である。






 以前、黒澤監督について書いた3月13日付【黒澤明 『トラ・トラ・トラ!』事件の真相 その22 ◆繰り返された青柳家の大罪 <後篇>】で、新東宝時代に 高峰秀子 が悪徳プロデューサー(兼監督の青柳信雄)にギャラをピンハネされた上、勝手に木下作品『破れ太鼓』(昭和24=1949年)に出ることにされていた、という逸話を紹介したが、この時、高峰は木下と直接会って映画に出られない理由を縷々説明した--

 翌日、木下恵介と私は銀座の花馬車というレストランで会った。初対面の挨拶もそこそこに、私は無我夢中で「破れ太鼓」の一件を全部ぶちまけた。呆れたような顔をして聞いていた彼は、まるで他人ごとのようにケロリと言い放った。
「そんなケチのついた仕事なんかやめちゃいなさい。気持ちが悪いじゃありませんか」
 イヤ味のひとつも言われるだろう、と覚悟していた私はキョトンとして彼の顔をみつめた。この一言で、間違いなく事件の解決はついたようである。しかし、このケチのついたいざこざのために、優秀な木下監督との縁もまたおしまいになるだろう、と思うと残念だった。その私に、彼はニッコリと笑いかけた。
「話はよく分かりました。この次はあなたのために脚本を書きます。そのときは僕が直接電話をします。脚本が気に入ったら出て下さい」         (『私の渡世日記・下巻』高峰秀子、文春文庫)


 〝そんなケチのついた仕事なんかやめちゃいなさい〟とは自分の作品には出なくてイイ、という意味である。そんな馬鹿な! 彼だっておそらくは高峰を『破れ太鼓』に出したかったに違いない。それなのに高峰の心情をおもんばかって、自作に出るな、というなんて。鬼監督の溝口健二や黒澤明じゃ考えられない話だ。木下恵介はこんなに優しいハートの持ち主であった。
 しかも嬉しいことに、木下は 〝この次はあなたのために脚本を書きます〟 という約束通り、高峰のために 『カルメン故郷に帰る』 (昭和26=1951年)のシナリオを書き、監督自ら高峰に電話をかけて出演オファーをした。高峰秀子はこの後、新東宝を辞めてフリーになるが、木下作品には以後ずっと出続けた。そこにはこの時の木下監督に対する感謝の気持ちがあったに違いない。

 三國連太郎は自由で気ままで破天荒、そして〝演じること〟に一途な俳優人生を全うしたが、それが出来たのは彼の性格や人柄のせいもあろうが、映画界に木下惠介という名伯楽がいたおかげでもある。三國さんと木下監督の二人に・・・合掌。     〔完〕

                     *****

※追記 その木下惠介監督の若き日を描いた映画 『はじまりのみち』 (監督・原恵一)が6月1日に公開されます。
 「戦後の日本映画史を動かした青年監督の人生を変えた<運命の数日間>とは…?
  木下惠介の原点となった母との絆を、実話を元に描く愛情物語」
  原監督は木下監督のファンで念願の映画化とのこと、乞うご期待!

 ■ 出典及び参考文献 ■
● 『日本映画映画全集・男優篇』 キネマ旬報社
● 『昭和芸能秘録 東宝宣伝マンの歩んだ道』 道江達夫、中公文庫
● 『東宝行進曲 私の撮影所宣伝部50年』 斎藤忠夫、平凡社
● 『生きざま死にざま 三國連太郎 』 三國連太郎、KKロングセラーズ
● 『NHK「こころの遺伝子」ベストセレクション6 三國連太郎の「あなたがいたから」』 NHK「こころの遺伝子」制作班・編集、主婦と生活社
● 『私の渡世日記・下巻』 高峰秀子、文春文庫


< 『祇園の姉妹』や『浪華悲歌』で日本映画にリアリズムを打ち立て、
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